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明治12年(1879年)に官営幌内炭鉱で最初に開削された、道内最古の坑道。延長約700メートル。当初は「大坑道」と称する基幹的な採炭坑道だったが、明治29年(1896年)以降は排気坑に転用され、平成元年(1989年)の閉山時に密閉された。北海道近代炭鉱の端緒として価値が高い歴史遺産。
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官営幌内炭鉱は明治12年(1879年)に北海道初の近代炭鉱として開鉱した。音羽坑は幌内炭鉱で最初に開削された延長700メートルの坑道。同鉱は明治22年(1889年)に、開発中の幾春別炭鉱、幌内鉄道とともに、北海道炭礦鉄道会社(後の北海道炭礦汽船・北炭)に払い下げられた。年産150万トン級。閉山は平成元年(1989年)。
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音羽坑にて、馬による運搬の風景。音羽坑は明治12年(1879年)に官営幌内炭鉱で最初に開削された、道内最古の坑道。延長約700メートル。当初は「大坑道」と称する基幹的な採炭坑道だったが、明治29年(1896年)以降は排気坑に転用され、平成元年(1989年)の閉山時に密閉された。北海道近代炭鉱の端緒として価値が高い歴史遺産。
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空知集治監の典獄(所長)官舎のレンガ煙突。明治23年(1890年)の典獄官舎建設にあたり、集治監で製造したレンガを使って造られた。市指定有形文化財。空知集治監は明治15年(1882年)から明治34年(1901年)まで置かれ、明治20年代後半まで囚人が幌内炭鉱で採炭作業を行った。
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空知集治監の典獄(所長)官舎のレンガ煙突。明治23年(1890年)の典獄官舎建設にあたり、集治監で製造したレンガを使って造られた。高さ約5メートル。市指定有形文化財。
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空知集治監の典獄(所長)官舎のレンガ煙突。明治23年(1890年)の典獄官舎建設にあたり、集治監で製造したレンガを使って造られた。明治34年(1901年)の空知集治監廃監で、典獄官舎などは取り壊されたが、レンガ煙突は保存された。市指定有形文化財。
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空知集治監の典獄(所長)官舎のレンガ煙突。明治23年(1890年)の典獄官舎建設にあたり、集治監で製造したレンガを使って造られた。明治34年(1901年)の空知集治監廃監で、典獄官舎などは取り壊されたが、レンガ煙突は保存された。市指定有形文化財。
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大正8年(1919年)に夕張からの北炭高圧送電線の開通に合わせて建設された。2階建て、延床面積は188平方メートル。平成元年(1989年)の北炭幌内炭鉱閉山まで稼働した。夕張・歌志内間約100キロの送電線網の中間に位置し、長距離送電黎明期の数少ない貴重な施設。
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大正8年(1919年)に夕張からの北炭高圧送電線の開通に合わせて建設された。2階建て、延床面積は188平方メートル。平成元年(1989年)の北炭幌内炭鉱閉山まで稼働した。夕張・歌志内間約100キロの送電線網の中間に位置し、長距離送電黎明期の数少ない貴重な施設。
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大正8年(1919年)に夕張からの北炭高圧送電線の開通に合わせて建設された。2階建て、延床面積は188平方メートル。平成元年(1989年)の北炭幌内炭鉱閉山まで稼働した。夕張・歌志内間約100キロの送電線網の中間に位置し、長距離送電黎明期の数少ない貴重な施設。
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北炭幾春別炭鉱錦立坑櫓は大正6年(1917年)起工で、現存する立坑としては道内最古。櫓の高さは約10メートル、深さは約215メートル。北炭幾春別炭鉱は明治18年(1885年)官営として開鉱。その後、北炭に払い下げられ、開発が進められた。昭和32年(1957年)閉山。
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北炭幾春別炭鉱の錦立坑櫓と巻き揚げ室。大正6年(1917年)起工で、現存する立坑としては道内最古。櫓の高さは約10メートル、深さは約215メートル。北炭幾春別炭鉱は明治18年(1885年)官営として開鉱。その後、北炭に払い下げられ、開発が進められた。昭和32年(1957年)閉山。
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北炭幾春別炭鉱錦立坑の巻き揚げ室内部。大きなリールは隣りの立坑櫓とワイヤーでつながっており、リールを回して人を乗せたケージなどを地下から引き上げる。立坑櫓は大正6年(1917年)起工で、現存する立坑としては道内最古。櫓の高さは約10メートル、深さは約215メートル。
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北炭幾春別炭鉱の錦立坑櫓と巻き揚げ室。大正6年(1917年)起工で、現存する立坑としては道内最古。櫓の高さは約10メートル、深さは約215メートル。北炭幾春別炭鉱は明治18年(1885年)官営として開鉱。その後、北炭に払い下げられ、開発が進められた。昭和32年(1957年)閉山。
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大正14年(1925年)に日支炭鉱汽船が開発に着手、3回のガス爆発事故にあいながら昭和9年(1934年)年に出炭を開始。わずか4年で年産45万トンの炭鉱に成長したが、資金や鉱区などの制約から昭和16年(1941年)に北炭に吸収合併された。
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大正14年(1925年)に日支炭鉱汽船が開発に着手、3回のガス爆発事故にあいながら昭和9年(1934年)に出炭を開始。わずか4年で年産45万トンの炭鉱に成長したが、資金や鉱区などの制約から昭和16年(1941年)に北炭に吸収合併された。
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三笠市役所庁舎は昭和31年(1956年)竣工。Y字型の形状をした、鉄筋コンクリート造2階建て。中心部には展望室塔屋が、各頂点には議場(現存)、消防署(移転)が配置された。昭和28年(1953年)竣工の東京厚生年金病院と形状が似ている。市制施行を目前に控えていたことなどから、設計担当の市建築主事が意欲的に取り組んだと見られる。後に増築され、3階建てになっている。
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三笠市役所庁舎は昭和31年(1956年)竣工。Y字型の形状をした、鉄筋コンクリート造2階建て。中心部には展望室塔屋が、各頂点には議場(現存)、消防署(移転)が配置された。昭和28年(1953年)竣工の東京厚生年金病院と形状が似ている。市制施行を目前に控えていたことなどから、設計担当の市建築主事が意欲的に取り組んだと見られる。後に増築され、3階建てになっている。
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三笠市役所庁舎は昭和31年(1956年)竣工。Y字型の形状をした、鉄筋コンクリート造2階建て。中心部には展望室塔屋が、各頂点には議場(現存)、消防署(移転)が配置された。昭和28年(1953年)竣工の東京厚生年金病院と形状が似ている。市制施行を目前に控えていたことなどから、設計担当の市建築主事が意欲的に取り組んだと見られる。後に増築され、3階建てになっている。
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住友奔別炭鉱は明治35年(1902年)、奈良炭鉱として開鉱。昭和3年(1928年)に住友炭鉱に売却された。立坑は、深部区域の総合開発のためドイツから技術導入して三菱造船が建設。昭和35年(1960年)に稼働を開始し、1971(昭和46)年の閉山まで使用された。捲上深度650m、掘削深度735m、立坑櫓高さ51m。周辺には選炭場などの関連施設も残っており、石炭産業の現場を理解する上で貴重な施設となっている。
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住友奔別炭鉱は明治35年(1902年)開鉱。立坑は、深部区域の総合開発のために建設され、昭和35年(1960年)に稼働を開始した。捲上深度650m、掘削深度735m、立坑櫓高さ51m。立坑最深部は1100メートル。合理化の旗手として注目されたが、立坑稼働からわずか11年後の昭和46年(1971年)閉山。
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住友奔別炭鉱の立坑櫓。一つの立坑シャフトの中に、原炭輸送用の容器と人員を運ぶケージが一対ずつ入る特異な形式で、巻き揚げ室は左右対称に配置されている。左奥の建物は選炭施設。立坑櫓と同時期に建設された。長さ130メートル、幅25メートル、高さ30メートルで、現存する選炭施設としては国内最大規模。
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住友奔別炭鉱は明治35年(1902年)、奈良炭鉱として開鉱。昭和3年(1928年)に住友炭鉱に売却された。立坑は、深部区域の総合開発のためドイツから技術導入して三菱造船が建設。昭和35年(1960年)に稼働を開始し、1971(昭和46)年の閉山まで使用された。捲上深度650m、掘削深度735m、立坑櫓高さ51m。周辺には選炭場などの関連施設も残っており、石炭産業の現場を理解する上で貴重な施設となっている。
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住友奔別炭鉱は明治35年(1902年)、奈良炭鉱として開鉱。昭和3年(1928年)に住友炭鉱に売却された。立坑は、深部区域の総合開発のためドイツから技術導入して三菱造船が建設。昭和35年(1960年)に稼働を開始し、1971(昭和46)年の閉山まで使用された。捲上深度650m、掘削深度735m、立坑櫓高さ51m。周辺には選炭場などの関連施設も残っており、石炭産業の現場を理解する上で貴重な施設となっている。
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早朝の幾春別市街。住友奔別炭鉱の櫓は、どこからでも見えるマチのシンボルだった。
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唐松駅は昭和4年(1929年)に住友唐松炭鉱の石炭搬出貨物駅として開業。翌年、旅客も取り扱う一般運輸営業を開始した。昭和10年代には村内で最も利用客の多い駅だった。北海道の木造駅舎としては珍しいギャンブレル屋根(二面切妻の二段勾配屋根)で、待合室部分と駅事務室部分の2棟が直角に交差して組み合わされた独特の形態をしている。
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唐松駅は昭和4年(1929年)に住友唐松炭鉱の石炭搬出貨物駅として開業。翌年、旅客も取り扱う一般運輸営業を開始した。昭和10年代には村内で最も利用客の多い駅だった。昭和62年(1987年)廃駅。その後、荒れ放題になっていたが、地元の有志が駅舎の修復や周辺整備を行った。内部には現役時代の写真などが展示されている。
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唐松駅は昭和4年(1929年)に住友唐松炭鉱の石炭搬出貨物駅として開業。翌年、旅客も取り扱う一般運輸営業を開始した。昭和10年代には村内で最も利用客の多い駅だった。昭和62年(1987年)廃駅。廃駅の時点で、単式ホーム1面1線の無人駅だった。かつては相対式ホーム2面2線を有し、列車行き違い設備もあった。
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唐松駅は昭和4年(1929年)に住友唐松炭鉱の石炭搬出貨物駅として開業。翌年、旅客も取り扱う一般運輸営業を開始した。昭和10年代には村内で最も利用客の多い駅だった。北海道の木造駅舎としては珍しいギャンブレル屋根(二面切妻の二段勾配屋根)で、待合室部分と駅事務室部分の2棟が直角に交差して組み合わされた独特の形態をしている。昭和62年(1987年)廃駅。
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三笠市は、北海道の近代炭鉱と鉄道発祥の地。明治元年(1868年)、幌内で石炭が発見され、明治12年(1879年)に北海道初の近代炭鉱として官営幌内炭鉱が開鉱した。同鉱は、明治22年(1889年)に、開発中の幾春別炭鉱、幌内鉄道とともに、北海道炭礦鉄道会社(後の北海道炭礦汽船・北炭)に払い下げられた。年産150万トン級。三笠最後の炭鉱として平成元年(1989年)まで操業した。写真は、機械化採炭の様子。
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幾春別炭鉱は、明治18年(1885年)、官営として開鉱に着手。その後、北炭に払い下げられ、開発が進められた。昭和32年(1957年)閉山。錦立坑櫓は、現存する道内最古の立坑櫓。写真は、選炭場と炭鉱住宅。
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住友奔別炭鉱は、明治35年(1902年)、奈良炭鉱として開鉱。昭和3年(1928年)に住友炭鉱に売却された。年産150万トン級。昭和46年(1971年)閉山。写真は、選炭場とズリ山。
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住友弥生炭鉱は、明治38年(1905年)開鉱。昭和35年(1960年)、住友奔別炭鉱に統合された。写真は、選炭場で働く女性たち。
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新幌内炭鉱は、大正末期に開発が始まり、3回のガス爆発事故にあいながら昭和9年(1934年)に出炭を開始。わずか4年で年産45万トンの炭鉱に成長したが、鉱区などの制約から昭和16年(1941年)に北炭に吸収合併された。写真は、坑内ガスを燃料としたガス発電所。
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住友唐松炭鉱は、明治38年(1905年)開鉱。大正5年(1916年)から住友の経営になる。昭和18年(1943年)閉山。写真は、石炭積込場。
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三笠の炭鉱の採炭現場や坑口での風景をまとめた。写真は、坑口慰問の日。
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官営幌内炭鉱の開鉱と、労働力確保のための空知集治監設置により集落が形成され、明治15年(1882年)に市来知村が開村。三笠市の始まりとなった。明治時代に、幾春別、奔別、弥生といった炭鉱が開鉱し、炭鉱の「企業城下町」として各地域が独立発展した。狭い範囲に職住が接近する炭鉱の街では、互いに助け合い喜怒哀楽を共にする中で、「一山一家」(ヤマに暮らす人すべてが家族)という意識が育まれた。
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官営幌内炭鉱の開鉱と、労働力確保のための空知集治監設置により集落が形成され、明治15年(1882年)に市来知村が開村。三笠市の始まりとなった。明治時代に、幾春別、奔別、弥生といった炭鉱が開鉱し、炭鉱の「企業城下町」として各地域が独立発展した。狭い範囲に職住が接近する炭鉱の街では、互いに助け合い喜怒哀楽を共にする中で、「一山一家」(ヤマに暮らす人すべてが家族)という意識が育まれた。
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明治12年(1879年)に開鉱した官営幌内炭鉱の集落に始まり、石炭産業の発展と人口増加に伴って各集落は拡大。山あいの平坦地・傾斜地に、住宅や学校、商店街が広がり、街並みを形成していった。市制施行で三笠市となったのは、昭和32年(1957年)。写真は、幌内駅前三光道周辺。
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明治12年(1879年)に開鉱した官営幌内炭鉱の集落に始まり、石炭産業の発展と人口増加に伴って各集落は拡大。山あいの平坦地・傾斜地に、住宅や学校、商店街が広がり、街並みを形成していった。市制施行で三笠市となったのは、昭和32年(1957年)。写真は、弥生藤枝町周辺。
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三笠の交通は、小樽と幌内を結んで明治15年(1882年)に開通した北海道で最初の鉄道、幌内鉄道から始まる。石炭を運ぶ鉄道は、人も奥地に運び、北海道の内陸開発の大きな足掛かりとなった。また、空知集治監・樺戸集治監の囚人たちの過酷な労働によって、上川道路、北見道路などが開かれた。写真は、北炭幌内炭鉱からの石炭積み出し。
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三笠の教育は、明治15年(1882年)に有志が寄付金を集め、官営幌内炭鉱の炭鉱事務所を改築して公立幌内学校を開設したのが始まりといわれる。大正初期までにほとんどの地区に学校が開設された。昭和33年(1958年)ころには、学校数が最大規模となり、小学校11校(児童数1万681人)、中学校7校(生徒数4739人)、高校も2校に増えた。写真は、幌内尋常高等小学校の1年月組の児童。
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三笠の教育は、明治15年(1882年)に有志が寄付金を集め、官営幌内炭鉱の炭鉱事務所を改築して公立幌内学校を開設したのが始まりといわれる。大正初期までにほとんどの地区に学校が開設された。昭和33年(1958年)ころには、学校数が最大規模となり、小学校11校(児童数1万681人)、中学校7校(生徒数4739人)、高校も2校に増えた。写真は、奔別小学校の廃校式。
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大正から昭和へと繁栄を誇った炭鉱や集落では、多くのスポーツ団体が作られ、活発な活動が行われた。写真は、住友弥生炭鉱のラグビーチーム。
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幌内鉄道の開通で物資輸送や人の往来が盛んになった幌内、市来知は、当時、札幌以東随一のまちとして繁栄。幾春別にも次々と炭鉱が開発され、市街地が形成された。石炭産業の発展とともに、地域の商店街には各炭鉱の配給所や生協、デパートが建てられ、利用する住民たちでにぎわった。写真は、新幌内分配所。
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幾春別川沿いに発達した街並みは、支流の幌内川・奔別川などの氾濫で何度も水害に見舞われた。幌内、幾春別、弥生、唐松では大火も発生。また、炭鉱災害もたびたびあった。写真は、水害の後片付けをする幌内地区の住民。
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