22件ヒットしました
絞り込み検索
タイトル
自治体
資料番号
説明
夕張炭鉱の3番目の斜坑として明治33年(1900年)に開坑し、大正7年(1918年)に天龍坑と名前が変わった。人車斜坑は、正面から見ると左右に翼を張り出したようなレンガ造りが美しい。
撮影年
所蔵
種別
メディア
分野
年代
タイトル
自治体
資料番号
説明
北炭夕張炭鉱の斜坑・水平坑の名前は、北上、天龍、神通など、河川名に由来していた。
撮影年
所蔵
種別
メディア
分野
年代
タイトル
自治体
資料番号
説明
人車斜坑坑口のすぐそばに残る天龍坑の資材斜坑。レンガで築かれた半円アーチが美しい坑口だった様子をとどめている。
撮影年
所蔵
種別
メディア
分野
年代

画像クリックで拡大
タイトル
自治体
資料番号
説明
天龍坑の斜坑人車に乗った鉱員の記念撮影。昭和10年代に撮影された一枚で、お揃いのポーズとにこやかな表情から、産業紹介など宣伝用に撮影されたと思われる。
撮影年
所蔵
種別
メディア
分野
年代

画像クリックで拡大
タイトル
自治体
資料番号
説明
昭和14年(1939年)の天龍坑口での慰問の様子。全国安全標語は「興亜の偉業に輝く安全」。各炭鉱会社は独自の従業員心得も策定した。
撮影年
所蔵
種別
メディア
分野
年代

画像クリックで拡大
タイトル
自治体
資料番号
説明
戦時下の坑口慰問。戦争激化の中、社光地区の婦人会が天龍坑でお茶を振る舞う。「進め一億皆戦士」など戦時高揚と増産のスローガンも見える。
撮影年
所蔵
種別
メディア
分野
年代

画像クリックで拡大
タイトル
自治体
資料番号
説明
採炭救国坑夫の像は昭和19年(1944年)に制作され、完成当時は「進発の像」と呼ばれていた。昭和60年(1985年)までは北炭夕張鉱業所前庭に設置され、現在は夕張市石炭博物館に移されている。令和2年(2020年)に修復を終えて、新たな歴史を刻み始めている。
撮影年
所蔵
種別
メディア
分野
年代
タイトル
概要
夕張は、開拓使に雇われた鉱山地質学者ライマン一行の調査で、明治9年(1876年)に石炭の存在が推定された。同21年(1888年)に北海道庁技師の坂市太郎が志幌加別川流域に延々と続く炭層を発見。明治23年(1890年)には夕張採炭所が設置され採炭を開始、一世紀近い石炭産業の歴史が始まる。
自治体
種別
メディア
分野
年代
タイトル
概要
夕張の炭鉱は、戦争による石炭の大増産を経て一気に活性化した。しかし、終戦直後は戦時中の乱掘による坑内の荒廃や資材不足、外国人(朝鮮人、中国人)労働者の一斉帰還による労働力不足により出炭量は低迷した。その後、石炭増産による戦後復興を目的に資源を集中投下する「傾斜生産方式」が推し進められた。昭和33年(1958年)に炭鉱数は158となり、北海道内の炭鉱が最も繁栄した時代を迎える。
自治体
種別
メディア
分野
年代
タイトル
概要
明治23年(1890年)に夕張炭鉱が採炭を開始して以来、炭鉱の街として夕張は栄えてきた。一時は、大小10以上の炭鉱が操業し、人口も12万人を超える。しかし、昭和30年代半ばに入ってからは石油の普及が進み、石炭産業はその輝きを失い始める。各炭鉱は積極的な投資に乗り出し、合理化対策を進めて生産の高い炭鉱への生き残りを図っていく。
自治体
種別
メディア
分野
年代