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北海道炭礦汽船の歴史

概要

北海道炭礦汽船株式会社の歩みは北海道の石炭産業の歴史であり、夕張の盛衰とも密接に重なり合う。戦後復興の主役となった石炭の増産期を経て、昭和35年(1960年)のピークを境に夕張は人口減少、閉山へと向かっていく。とはいえ、炭鉱周辺の暮らしはまだ豊かで、当時の花形スポーツのプロ野球や大相撲が会社の周年事業として次々と招かれ、地域を盛り上げた。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 芸術・スポーツ

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
分類概要

タイトル

採炭方式の移り変わり

概要

炭層は、傾斜、厚さ、ガス量、断層の有無などで採掘する条件が異なってくる。特に夕張の炭層は厚い層が多く、開発当時から様々な研究が行われてきた。ツルハシ掘りから始まった採炭は、発破採炭などを経て、機械化された採炭へ進む。夕張でも採炭を合理化する研究が熱心に行われ、カッペと鉄柱を用いたカッペ採炭法は、採炭技術に大きな革新をもたらした。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真 印刷物

分野

産業 労働

年代

大正以前(~1911) 大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
分類概要

タイトル

炭鉱で働く女性たち

概要

炭鉱では男性だけではなく、女性が活躍する仕事も多かった。大正元年(1912年)の調査によると、夕張だけでも300人近い女性が坑内作業に従事していた記録が残っている。大正から昭和にかけて、女性を過酷な労働から守る法律が次々と整備されていく。女性が活躍した選炭場も戦後は合理化が進み、「選炭婦」と呼ばれた多くの女性たちは次々と姿を消していった。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 労働

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
分類概要

タイトル

夕張の戦前の暮らし

概要

明治・大正時代を経て石炭増産が始まると、夕張には多くの人があふれ、食料をさばく市場や商店が立ち並ぶようになった。そして、昭和に入り戦争の気配が濃くなり始めると、戦争遂行のために石炭の生産量は一気に高まる。やがて、若者たちが次々と出征することで生じた労働力不足や資材の老朽化は深刻となり、石炭もついに販売統制が始まった。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 その他

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 年代不明
分類概要

タイトル

夕張の戦後の暮らし

概要

戦後まもない夕張は、経済復興のけん引役として巨額の政府資金なども投入され、急速な活況を見せる。好不況の波に揉まれながら、昭和30年代に入ると空前の石炭大生産が始まった。炭鉱には大型機械が次々と導入され、映画は札幌よりも早く公開された。顔を真っ黒にして働き、家族や仲間と炭住の日々を楽しむ、たくましく生きる人たちの笑顔があふれた。その一方で、昭和30年代後半は、閉山や人員合理化など炭鉱の斜陽化が顕著になってきた時期でもあった。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 その他

年代

昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 年代不明
分類概要

タイトル

夕張のスポーツ

概要

夕張は、大正初期からスポーツが盛んな土地柄だった。北炭は、各炭鉱に福利厚生施設として運動場を設け、役員名を冠した賞を競う「重役カップ」と呼ばれる各種目の炭鉱対抗争奪戦で大いに盛り上がる。昭和30年代、炭鉱の出炭量が戦後のピークに達し始めると、労働運動によって炭住や福利厚生は更に充実し、夕張のスポーツや文化活動は大きく花開く。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 暮らし・行事 芸術・スポーツ

年代

昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
分類概要

タイトル

夕張の街並み(1)

概要

夕張の風景は、時代とともに大きく変わってゆく。明治時代から数多くの写真が残され、地域の景勝地や石炭産業の様子も絵葉書などに時代の記録として写し込まれた。産業が隆盛を極め、人が集まり、街並みが活気にあふれる。雑貨店から演芸場、料亭、旅館に至るまで、当時の街角の息遣いが伝わってくる。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 鉄道 その他

メディア

写真

分野

産業 暮らし・行事 その他

年代

大正以前(~1911) 大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
分類概要

タイトル

夕張の街並み(2)

概要

夕張の市街地を囲む周辺の山並みは今、豊かな緑にあふれている。しかし、かつては山の斜面一帯に炭住が所狭しと建ち並び、独特の街並みを形成していた。通勤や通学のための人車が高台まで整備され、夜には高台の上まで炭住の明かりがともる。さまざまな方向から街並みを眺めると、炭鉱が繁栄した時代の風景が広がってくる。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 暮らし・行事 その他

年代

昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 年代不明
分類概要

タイトル

夕張の子どもたち

概要

夕張の教育は、明治23年(1890年)に12人ほどが学んだ寺子屋方式から始まった。昭和初期には兵式体操(教練)が体操科目となっていく。戦後、出炭量と比例して児童数は増え続け、昭和34年(1959年)には、22の小学校に2万人の児童が学んだ。炭住の子どもたちは、玄関を開けるとそこが遊び場。弟や妹の面倒を見ながら、家事を手伝いながら夕暮れまで遊ぶのが、炭鉱の繁栄した時代の日常の風景だった。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 暮らし・行事 教育・学校 その他

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
分類概要

タイトル

夕張の教育・学校

概要

夕張の教育事情が最もひっ迫したのは、大正時代だった。増加する児童数に対して教室が足りず、二部授業によって急場をしのぐ状況だった。校舎の老朽化もあり、大正8年(1919年)には全小学校の改築が計画されるが、増加する児童数は解決せず、二部授業はその後しばらく続く。また翌9年(1920年)には夕張工業学校が開校する。北炭が技術職員の養成を目的として、採鉱科で3年間学ばせる企業内の教育機関だった。

自治体

夕張市

種別

炭鉱 その他

メディア

写真 印刷物

分野

産業 教育・学校

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明