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構成文化財 三菱美唄炭鉱竪坑櫓(1)
画像:三菱美唄炭鉱竪坑櫓(1)

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タイトル

三菱美唄炭鉱竪坑櫓(1)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_001_0001

説明

第一次世界大戦後の不況時、コスト低減や能率向上を目指した合理化策の一環として大正12年(1923年)に建設された。竪坑(立坑)としては北海道内で2番目に古い。三菱美唄炭鉱は昭和47年(1972年)に閉山。竪坑櫓と周辺施設は、炭鉱メモリアル森林公園として一体的に公開されている。

撮影年

令和2年(2020年)

所蔵

炭鉄港推進協議会

種別

炭鉱

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 その他

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988)
構成文化財 三菱美唄炭鉱竪坑櫓(2)
画像:三菱美唄炭鉱竪坑櫓(2)

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タイトル

三菱美唄炭鉱竪坑櫓(2)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_001_0002

説明

三菱美唄炭鉱竪坑櫓と開閉所。開閉所は大正14年(1925年)建設、炭鉱関連施設や設備機械の主要電源を総合的に管理した。

撮影年

令和2年(2020年)

所蔵

炭鉄港推進協議会

種別

炭鉱

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 その他

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988)
構成文化財 三菱美唄炭鉱竪坑櫓(3)
画像:三菱美唄炭鉱竪坑櫓(3)

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タイトル

三菱美唄炭鉱竪坑櫓(3)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_001_0003

説明

大正14年(1925年)に建設された三菱美唄炭鉱の原炭ポケット。地下から竪坑を通って運び出された原炭は、この施設に貯蔵された後、選炭工場へ送られた。貯蔵容量は約1300トン。

撮影年

令和2年(2020年)

所蔵

炭鉄港推進協議会

種別

炭鉱

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 その他

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988)
構成文化財 三菱美唄炭鉱竪坑櫓(4)
画像:三菱美唄炭鉱竪坑櫓(4)

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タイトル

三菱美唄炭鉱竪坑櫓(4)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_001_0004

説明

三菱美唄炭鉱は大正2年(1913年)開鉱。大夕張と並ぶ道内三菱の主力炭鉱。効率出炭を目指して建設された竪坑は、大正12年(1923年)完成。昭和19年(1944年)には戦前最高の189万トンの出炭を記録した。昭和40年(1965年)に三菱鉱業から分離して美唄炭鉱となる。昭和46年(1971年)に三菱大夕張炭鉱と合併したが、翌年閉山。

撮影年

不明

所蔵

美唄市教育委員会

種別

炭鉱

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 その他

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988)
構成文化財 三菱美唄炭鉱竪坑櫓(5)
画像:三菱美唄炭鉱竪坑櫓(5)

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タイトル

三菱美唄炭鉱竪坑櫓(5)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_001_0005

説明

三菱美唄炭鉱竪坑櫓と坑口。櫓は高さ20メートル、深さは約170メートル。

撮影年

不明

所蔵

美唄市教育委員会

種別

炭鉱

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 その他

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988)
構成文化財 三菱美唄炭鉱竪坑櫓(6)
画像:三菱美唄炭鉱竪坑櫓(6)

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タイトル

三菱美唄炭鉱竪坑櫓(6)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_001_0006

説明

三菱美唄炭鉱竪坑櫓。閉山後、竪坑の坑口をコンクリートで閉鎖する作業をしている。

撮影年

昭和47年(1972年)

所蔵

美唄市教育委員会

種別

炭鉱

メディア

写真

分野

産業 労働

年代

大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988)
構成文化財 人民裁判の絵
画像:人民裁判の絵

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タイトル

人民裁判の絵

自治体

美唄市

資料番号

05_k_002_0001

説明

正式名称は「人民裁判事件記録画」という。戦後労働運動の象徴的な事件として知られる人民裁判。昭和21年(1946年)2月、賃上げなど労働条件の向上を求める三菱美唄炭鉱労働組合員らが、市内宮ノ下会館などで団交を実施。合計36時間にわたって会社側を追及した。絵は、同炭鉱の美術サークルの5人が、人民裁判から4年後に完成させた。

撮影年

令和2年(2020年)

所蔵

炭鉄港推進協議会

種別

炭鉱

メディア

写真

分野

産業 労働 暮らし・行事 芸術・スポーツ

年代

昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 平成以降(1989~)
構成文化財 旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(1)
画像:旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(1)

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タイトル

旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(1)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_003_0001

説明

昭和25年(1950年)に開校した小学校で、校区は炭鉱住宅街であったことから、ピークの昭和34年(1959年)には30学級、児童数1250人となった。炭鉱閉山による児童数減少で昭和56年(1981年)閉校。平成4年(1992年)から市営幼稚園と美唄市出身の彫刻家、安田侃氏の彫刻を展示する芸術文化交流施設が併設。平成28年(2016年)から美術館となった。「炭鉱の記憶」の再生モデルとして注目される。

撮影年

令和2年(2020年)

所蔵

炭鉄港推進協議会

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 暮らし・行事 教育・学校 芸術・スポーツ

年代

昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 平成以降(1989~)
構成文化財 旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(2)
画像:旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(2)

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タイトル

旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(2)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_003_0002

説明

トラス組みの校内。旧栄小学校は昭和25年(1950年)に開校。校区は炭鉱住宅街であったことから、ピークの昭和34年(1959年)には30学級、児童数1250人となった。炭鉱閉山による児童数減少で昭和56年(1981年)閉校。平成4年(1992年)から市営幼稚園と美唄市出身の彫刻家、安田侃氏の彫刻を展示する芸術文化交流施設が併設。平成28年(2016年)から美術館となった。「炭鉱の記憶」の再生モデルとして注目される。

撮影年

令和2年(2020年)

所蔵

炭鉄港推進協議会

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 暮らし・行事 教育・学校 芸術・スポーツ

年代

昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 平成以降(1989~)
構成文化財 旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(3)
画像:旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(3)

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タイトル

旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)(3)

自治体

美唄市

資料番号

05_k_003_0003

説明

昭和25年(1950年)に開校した小学校。校区は炭鉱住宅街で昭和34年(1959年)には30学級、児童数1250人となった。炭鉱閉山による児童数減少で昭和56年(1981年)閉校。平成4年(1992年)から市営幼稚園と美唄市出身の彫刻家、安田侃氏の彫刻を展示する芸術文化交流施設が併設。平成28年(2016年)から美術館となった。「炭鉱の記憶」の再生モデルとして注目される。校歌二番には炭鉱の繁栄と小学校が伸びゆく時代が刻まれている。

撮影年

令和2年(2020年)

所蔵

炭鉄港推進協議会

種別

炭鉱 その他

メディア

写真

分野

産業 暮らし・行事 教育・学校 芸術・スポーツ

年代

昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 平成以降(1989~)
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