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ストーリーの構成文化財

炭鉱

所在地 
赤平市
ふりがな 
そらちがわろとうたんそう
名 称 
空知川露頭炭層
建造年 
1873
概 要 
1857 (安政4)年に松浦武四郎が発見し、その後の空知炭田開発の端緒となったとされる石炭層の露頭。1873(明治6)年、開拓使の榎本武揚らは幌内・三笠一帯の炭層を調査した後、石狩川本流を遡って空知太に達し、さらに空知川を遡上しながら沿岸一帯を調査し、赤平付近で炭層を発見し分析のために石炭を持ち帰った。1874(明治7)年、開拓使に雇われた米国人地質鉱山学者ライマンらは空知川を遡って地質調査をし、赤平周辺で石炭の大露頭を確認した。
指定等 
未指定(地質鉱物)
所在地 
三笠市
ふりがな 
ほくたんほろないたんこうおとわこう
名 称 
北炭幌内炭鉱音羽坑
建造年 
1879
概 要 
1879 (明治12)年、幌内炭鉱で最初に開削された延長約700mの坑道。当初は「大坑道」と称する基幹的な採炭坑道であったが、1896(明治29)年以降は排気坑に転用。大正~昭和初期になって稼行区域が次第に北側へ深部化するにつれて無能化し、1989(平成元)年の閉山時に密閉された。北海道近代炭鉱の端緒である場所性価値は高い。
指定等 
所在地 
月形町
ふりがな 
かばとしゅうじかんほんちょうしゃ(つきがたかばとはくぶつかん)
名 称 
樺戸集治監本庁舎(月形樺戸博物館)
建造年 
1886
概 要 
集治監の本庁舎で、1881(明治14)年開庁時の建物が火災で焼失したため、1886 (明治19)年に再建されたもの。外壁は下見板で、屋根は銅板葺き、窓は上下に開閉する洋風の意匠を取り入れている。入口石段も1886年の再建時から使われ、札幌市石山から切り出された凝灰岩(通称:札幌軟石)という柔らかな石のため長年の人の出入りによりすり減った。建物内には典獄室が復元され、別棟の博物館では開監から廃監まで39年間の歴史を当時の資料を基に展示している。
指定等 
市町有形(建造物)
所在地 
三笠市
ふりがな 
そらちしゅうじかんてんごくかんしゃえんとつ
名 称 
空知集治監典獄官舎レンガ煙突
建造年 
1890
概 要 
空知集治監(1882~ 1901年)の典獄(所長)官舎のレンガ煙突。1890(明治23)年建設の典獄官舎に、空知集治監で自製したレンガにより設置された。 なお幌内炭鉱では、官営時代の1883(明治16)年から北炭時代の1894(明治27)年まで、空知集治監の囚人の使役による採炭がおこなわれていた。
指定等 
市町有形(建造物)
所在地 
夕張市
ふりがな 
ゆうばりせきたんだいろとう
名 称 
夕張の石炭大露頭「夕張24尺層」
ふりがな 
ゆうばりしゃくそう
建造年 
1888
概 要 
新生代古第三紀(約5,000万年前)の地層が地上に露出した露頭であり、石狩層群夕張層の基底部にあたる。下位から十尺層・八尺層・六尺層と累重し、計二十四尺(約7.3m)の厚さを持つ良質な泄青炭層。1888(明治21)年秋に、幌内(三笠)から調査に入った道庁技師・坂市太郎によって発見された。国内に他に例のない大規模なもので天然標本として教育・自然科学的に貴重なものであるとともに、夕張の歴史の起屯である。
指定等 
道天然記念物(地質鉱物)
所在地 
栗山町
ふりがな 
こばやししゅぞうけんぞうぶつぐん
名 称 
小林酒造建造物群
建造年 
1900-1922
概 要 
空知に残るレンガ造りの施設としては最大規模の歴史的建造物で、現在も酒造施設として利用され、13棟が国の登録有形文化財に指定されている。1878(明治11)年に札幌で創業し、1901(明治34)年に炭鉱開発で活況を呈しつつあった夕張に近く豊富な水や広大な用地の確保が可能な栗山へ移転した。商標「北の錦」は、北海道で錦を飾る意気込みを表したものと伝えられ、炭鉱マンたちに愛飲され炭鉱の発展とともに生産量を伸ばしていった。1995(平成7)年から「蔵元北の錦記念館」として一般公開されている。
指定等 
国登録有形(建造物)
所在地 
夕張市
ふりがな 
きゅうほくたんゆうばりたんこうてんりゅうこう
名 称 
旧北炭夕張炭鉱天龍坑
建造年 
1900
概 要 
1900 (明治33)年に第三斜坑として開坑、1918(大正7)年に天龍坑と改称された。夕張炭鉱初期の主要坑道だったが、1938(昭和13)年にガス爆発事故(死者161名)が発生し採炭が中止された。石炭露頭に開削された坑口で、北炭夕張鉱業所内で最大採炭量を誇った第二砿における代表的遺構のひとつ。入気・排気の坑口が対になって残っていること、赤レンガの化粧坑口が意匠的に美しいことが特徴である。
指定等 
国登録有形(建造物)
所在地 
岩見沢市
ふりがな 
やまのきおくまねじめんとせんたーいしぐら
名 称 
炭鉱の記憶マネジメントセンター石蔵
建造年 
1909
概 要 
2009年に開設された市民団体が運営する「炭鉱の記憶」のセンター施設。炭鉱以外の地域情報のインフォメーションセンターでもあり、カフェコーナーやグッズ販売コーナーもある。併設する1909(明治42)年建築の石蔵では様々な催事が行われている。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
夕張市
ふりがな 
ゆうばりろくめいかん(ほくたんしかのたにくらぶ)
名 称 
夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)
建造年 
1913
概 要 
賓客や会社幹部の宿泊・会合に用いる福利施設で、規模(30余室)・質(建築技術の粋を集め贅を尽くした本格的和風建築物)ともに北炭を代表するクラブ。1913(大正2)年に北海道支店が岩見沢から夕張に移転した際、岩見沢の重役宅を移築し開設。木造平屋建、建築面積1,609rrl。中央に本館、西に第ー別館、東に第二別館があり、本館は諸室を雁行型に配している。1954(昭和29)年に昭和天皇が宿泊した際に、寝室・炊事場を大改造した。
指定等 
国登録有形(建造物)
所在地 
三笠市
ふりがな 
ほろないへんでんしょ
名 称 
幌内変電所
建造年 
1919
概 要 
1919 (大正8)年に夕張からの北炭高圧送電線の開通に合わせ建設された、2階建・延床面積188面のRCレンガ造の変電所で、1989(平成元)年の幌内炭鉱閉山まで稼働していた。夕張~歌志内間約100kmの自家発送電線網の中間に位置し、長距離送電黎明期の数少ない施設として貴重である。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
三笠市
ふりがな 
ほくたんいくしゅんべつたんこうにしきたてこうやぐら
名 称 
北炭幾春別炭鉱錦立坑櫓
建造年 
1919
概 要 
1885 (明治18)年開鉱の北炭幾春別炭鉱は、深部化により坑口を集約し効率化を図るため1933(大正8)年に錦立坑を掘削。立坑深度214m、立坑櫓高さ約10mで、現存する立坑としては道内最古。1953(昭和28)年に上流の桂沢ダム建設を機に保坑となり、1957(昭和32)年に正式に閉山した。スキップ揚炭した石炭を立坑内で炭車に積みかえ選炭機に搬出するためのレンガ造水平坑口の存在が特徴的。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
美唄市
ふりがな 
みつびしびばいたんこうたてこうやぐら
名 称 
三菱美唄炭鉱竪坑櫓
建造年 
1923
概 要 
第一次世界大戦後の不況時に生産費低減や能率向上を目指した合理化策の一環として1923(大正12)年に建設された、道内で2番目に古い立坑。櫓高20m・深度約170m、上風坑(上流側:排気/人員)と、下風坑(下流側:入気/石炭・資材・ズリ)の2本からなり、1972(昭和47)年の閉山まで使われた。電源を総合的に管理し開閉器を収納していた開閉所、貯蔵容量約l,300tの道内で現存する最大規模の原炭ポケットが隣接してあり、いずれも1925(大正14)年に建設された。現在は炭鉱メモリアル森林公園として一体的に公開されている。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
夕張市
ふりがな 
きゅうほくたんたきのうえすいりょくはつでんじょ
名 称 
旧北炭滝ノ上水力発電所
建造年 
1924
概 要 
北炭により建設された自流ダム水路式の水力発電所で、1924(大正13)年に稼働開始。夕張川に取水堰提を築き、縦型フランシス水車で発電機1,200キロワット2台。水圧鉄管を省略しヘッドタンクを深くしたオープンフリューム式の発電方式は、水力発電の草創期に水量が多く落差の小さい発電所で多く採用された。発電所建屋の建築面積は182㎡で、建設当時の原形がよく保たれている。1994(平成6)年に北炭から北海道企業局へ譲渡され稼働中。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
三笠市
ふりがな 
ほくたんしんほろないこうこうぐち
名 称 
北炭新幌内砿坑口
建造年 
1934
概 要 
1925 (大正14)年に日支炭鉱汽船昧により開発が着手され、三度のガス爆発にあいながら昭和鉱業(樹によって1934(昭和9)年に出炭開始。わずか4年で年産45万tの大炭鉱に成長したが、資金や鉱区の制約から1941(昭和16)年に北炭に吸収合併された。1967(昭和42)年・幌内砿と統合するまでの主要坑口(本卸・連卸)や斜坑巻原動機基礎が残っている。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
夕張市
ふりがな 
きゅうほくたんゆうばりたんこうもぎこうどう(ゆうばりしせきたんはくぶつかん)
名 称 
旧北炭夕張炭鉱模擬坑道(夕張市石炭博物館)
建造年 
1939
概 要 
公開されている国内唯一の炭鉱坑道で、延長180m。1939(昭和14)年に皇族が夕張を訪れた際に見学用坑道として整備された。1954(昭和29)年に、昭和天皇・皇后両階下が訪問された際に、ダブルジグコール・カッターが設置され、模擬坑道としての形が整えられた。その後、映画撮影、救護隊の訓練、一般見学などにも利用された。地中にある実物の炭層を見学できるほか、上添坑道・下添坑道・採炭切羽・斜坑などの炭鉱の坑道骨格を実見することが出来る。
指定等 
国登録有形(建造物)
所在地 
夕張市
ふりがな 
きゅうほくたんしみずさわすいりょくはつでんしょ
名 称 
旧北炭清水沢水力発電所
建造年 
1938
概 要 
電力負荷の増大に対応して、清水沢火力発電所隣接の夕張川に堰堤を設け設置された2,000ぢ?ソ水力発電所で、1938(昭和13)年稼働開始。1949(昭和24)年には、夕張川利水計画の一環で全額国費負担により堰堤の嵩上げ工事が行われ(高さ25m・堤長93m・有効落差18m)2,800キロワットに増強、1963(昭和38)年には3,400キロワットに増強された。1996(平成6)年に北海道企業局に譲渡され、現在でも北炭時代からの水力発電設備が稼働している。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
赤平市
ふりがな 
ほくたんあかまたんこうずりやま
名 称 
北炭赤間炭鉱ズリ山
建造年 
1941
概 要 
1938 (昭和13)年に開鉱した北炭赤間炭鉱のズリ山で、1973(昭和48) まで稼働していた。標高: 197.65m 平均斜度: 18度。ズリ山山頂がJR赤平駅から直線距離で600mと市街地に近く地域のランドマークになっており、1990(平成2)年に階段と火文字を設置。火文字は、夏のあかびら火まつりのクフイマックスとして点火される。ズリ山階段の階段数(直線部分777段)では、長崎県佐世保市世知原町・ボタ山健康階段(555段)、北海道岩見沢市栗沢町・万字炭山森林公園(階段の直線部775段)を抜き日本一。
指定等 
未指定(文化的景観)
所在地 
夕張市
ふりがな 
さいたんきゅうこくこうふのぞう
名 称 
採炭救国坑夫の像
建造年 
1944
概 要 
軍需生産美術推進隊彫塑班の中村直人氏(二科会会員)らにより、1944(昭和19)年に制作されたコンクリート製大型塑像(高さ3.63m)。資材入手が困難な上、1週間以内の完成期限や屋外制作といった条件の下で、関係者は完成までに非常に苦労したと伝えられる。当初は「進発の像」と呼ばれたが、戦後、石炭増産が経済復典を進める上で最重要課題となる中で「採炭救国坑夫像」と呼ばれるようになった。炭都・タ張のシンボルとして市民に親しまれ、戦時美術品として美術史的にも価値がある。道内で唯一オリジナルとして残る一体。
指定等 
市有形(美術工芸品)
所在地 
美唄市
ふりがな 
じんみんさいばんえ
名 称 
人民裁判の絵
建造年 
1960
概 要 
1950 (昭和25)年に制作された絵画。戦後労働運動の象徴的な事件として知られる人民裁判は、1946(昭和21)年2月、賃上げなど労働条件の向上を求める三菱美唄炭鉱労働組合員らが、市内宮ノ下会館で鉱業所幹部職員を合計36時間にわたって拘束した大衆団交であった。絵は、同炭鉱美術サークルの鉱員5人が人民裁判から3年後に完成させた。
指定等 
未指定(美術工芸品)
所在地 
美唄市
ふりがな 
きゅうさかえしょうがっこう(やすだかんちょうこくびじゅつかんあるてぴあっつぁびばい)
名 称 
旧栄小学校(安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄)
建造年 
1950
概 要 
1950 (昭和25)年に開校した小学校で、校区は炭鉱住宅街であったことから1959 (昭和34)年には30学級・1250名となりピークを迎えたが、1981(昭和56)年に廃校となった。残された木造2階建校舎と鉄骨平屋建体育館(延床面積616rrl)は、1992(平成4)年から彫刻家安田侃氏の彫刻美術館と市営幼稚園として活用されており、「炭鉱の記憶」の再生モデルとして注目される。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
芦別市
ふりがな 
せいさだいがく(きゅうらいじょうしょうがっこう)こうしゃおよびたいいくかん
名 称 
星槎大学( 旧頼城小学校)校舎及び体育館
建造年 
概 要 
1954 年建設。校舎は36 教室、一線校舎の全長106m と長大な外壁総れんが積、体育館は屋根を支える木骨トラスの幾何学的形状が特徴的。
指定等 
国登録有形(建造物)
所在地 
三笠市
ふりがな 
みかさしやくしょちょうしゃ
名 称 
三笠市役所庁舎
建造年 
1956
概 要 
1954(昭和29)年着工、1956(昭和31)年竣工の市役所庁舎で、Y字型の形状をした鉄筋コンクリート造・2階建・延床面積2,585㎡。中心部には展望室塔屋が、各頂点には議場(現存)・消防署(移転)が配置された。東京厚生年金病院(設計=山田守、1953年竣工)と形状が似ており、建設場所が放射状街路の特徴を有する区画整理事業で整備された敷地であること、市政施行を目前に控えていたことなどから、設計担当の市建築主事が意欲的に取り組んだとみられる。その後、造築され、現在は3階建・延べ床面積4,418㎡となっている。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
三笠市
ふりがな 
すみともぽんべつたんこうたてこうやぐらしゅうへんしせつ
名 称 
住友奔別炭鉱立坑櫓・周辺施設
建造年 
1960
概 要 
住友奔別炭鉱立坑櫓:深部区域の総合開発のため、ドイツGHH社から技術導入して三菱造船(株が住ゑ鉱奔別炭 製作した立坑で、1960(昭和35)年に稼働を開始し、1971(昭和46)年の閉1960 山まで使用された。捲上深度650m、掘削深度735m、立坑櫓高さ51m。一つの立坑シャフトの中に、原炭輸送のスキップと、人員炭車用のケージが一対ずつ入る特異な形式で、巻室は東西に左右対称に配置されている。
住友奔別炭鉱選炭施設:立坑建設前から稼働しているものに、立坑建設に合わせて増強された部分が加わり、混在して残されている。最大施設は精炭ホッパーで、立坑建設前にあったホッパーの西側に増設され、長さ100m・幅13m・高さ20m、3レーン分の積み込み線路を有していた。精炭ホッパーの北側の裏手山側には、選炭施設基礎部の遺構(選炭機・シックナー・ボイラー煙突?原炭ポケット)がある。
指定等 
未指定(建造物)
所在地 
赤平市
ふりがな 
すみともあかびらたんこう たてこうやぐらしゅうへんしせつ
名 称 
住友赤平炭鉱 立坑櫓・周辺施設
建造年 
1963
概 要 
1963 (昭和38)年に建設された立坑櫓で、1994(平成6)年の閉山時まで使用されていた。櫓高44m、深度650mで、2セット4台の4段デッキケージ(18名X4段)、年間揚炭能力:140万t。-350L以深の深部開発のため総費用約 20億円をかけ建設され、同タイプの住友奔別立坑(1960年)の改良点が反映されている。1994(平成6)年の閉山後も、建屋や機械、電気設備などが極めて良好な状態で残されており、地域のランドマークとなっている。
指定等 
未指定(建造物)