のちに石狩炭田を発見したライマンが、石狩川からナイエ川を遡行し炭田を踏査したのは、1874(明治7)年のこと。それから約20年後の1896(明治29)年、奈井江炭田の試掘が開始される。さらに1939(昭和14) 年、住友鉱業が大々的に採炭事業に着手し、奈井江は石炭のまちとして活況を呈した。

国木田独歩と空知太

それにしても、空知太とこの独歩苑は、どうつながるのだろう。当時は、空知太駅は終着駅であり、空知川沿いの道も全通していない。ここに至るには空知太駅の手前、砂川駅で乗り換え、歌志内駅へ。さらに山越えしなければたどり着けない。実際、独歩は砂川駅に引き返し、山越えコースで熊笹をかきわけ「森林を穿(うが)って一直線に作られた思ひがけない大道」に出る。今なら空知太からは30分ほどで来ることのできる近さだが、当時の独歩にしてみれば、なんと果てしない道程であったことか。碑を眺めながら、文豪のひと駅間違いの“不幸”に思わず同情したくなる。では、幸せの胡蝶蘭(花言葉:幸せが飛んでくる)を抱きつつ、帰路へ(ちなみに歌志内公園にも独歩の詩碑が建立されている)。

(参考文献:「国木田独歩 空知川の岸辺で/岩井洋」道新選書)

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