北海道は、明治初期から昭和の高度成長期までの100年で、人口が100倍となる急成長を遂げました。
 薩摩藩の島津斉彬が構想した「北門の鎖鑰(さやく)」、開拓使が主導した「殖産興業」、日露戦争による「新たな領土」、太平洋戦争の「国家総動員」、その後の「経済復興」と、《炭鉄港》の歴史は、時々の国の政策に沿って日本が近代国家として自立・発展する過程を一身に体現しています。
 その中核となったのは石炭というエネルギーであり、そこから派生する鉄鋼・港湾・鉄道を含めて、歴史をたどるための手がかりは100㎞内外の範囲に多数存在しており、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」のサブストーリーとも言えます。
 これまで100年にわたり日本で最も忠実に《近代》を実践してきた足跡を顧みることは、今後100年の日本の進路を考える上で、極めて意義深いものがあります。

炭鉄港のストーリー

《炭鉄港》は、次のような4つのストーリーによって構成されています。

A
薩摩藩による産業革命と明治維新、
そこで北海道の重要性が認識されるストーリー

1851~1868
維新前夜。産業革命が起こった薩摩藩と北悔道の関わり


1869年に設置された開拓使には、多くの旧薩摩藩士が任官していました。その理由は、1851年に薩摩藩主となった島津斉彬に端を発します。薩摩藩が日本の最南端に位置したゆえに持ち得た国防上の危機感から、斉彬は近代的工場群「集成館」を建設。北海道開拓の必要性も訴え、その意思を引き継いだ黒田清隆をはじめとする家臣団が、開拓使で活躍しました。

B
旧薩摩藩士を中心に
近代北海道の基盤が整えられるストーリー

1869~1888
一大国家プロジェクトとしての炭鉱・鉄道開発


明治政府は維新後、日本を近代化させるための天然資源開発、また北方警備として、北海道開拓を急務としました。黒田清隆によって1872年から10年にわたって総額1000万円の国費をつぎ込む「開拓使10年計画」が決定すると、各種官営工場の設立、幌内炭山の開発、石炭輸送のための鉄道が作られました。

1889~1909
北炭による炭鉱と鉄道の独占。室蘭の急浮上


政府からの払い下げにより、優良鉱区を独占し北海道最大の炭鉱会社となった北炭は、関連する産業の多くを自社関連企業で運営。明治末期には製鉄・製鋼・製陶・精米•発電などを事業化しました。室蘭は、石炭輸送のための鉄道が開通したことで港湾機能が発展。その後、鉄のまちへと変貌を遂げるという劇的な変化にも注目!

1910~1930
財閥進出による新鉱開発と小樽の発展


日露戦争を契機とした鉄道国有化で北炭による独占体制が崩れると、財閥が北海道に続々進出。中でも、北炭を系列下に収めた三井財閥は、その支配的地位を確固たるものにしていきます。日露戦争の賠償による樺太割譲、第一次世界大戦などと絡み合いながら、小樽、室蘭の状況も変化していきました。

C
太平洋戦争を挟んで国内資源の重要な
供給地としての役割を果たしてきたストーリー

1931~1945
需要の増大による増産


1931年の満州事変以降、45年の終戦まで、戦争遂行のために重工業が重視され、石炭と鉄鋼はともに大増産体制となりました。さらに、小樽と室蘭は、石炭積出港としての整備が急速に進められました。

1945~1959
戦後復興で存在感を発揮した「炭鉄港」地域


戦後の経済復興のために石炭と鉄鋼を軸に生産回復を図る政策が取られ、空知の炭鉱は活況を呈し、室蘭の鉄鋼業も国内生産で一定の地位を占めました。戦後復興に必要な資源を調達するという点で、「炭鉄港」地域へ全国的な注目が集まり、期待されました。しかし、1949年には政策転換が行われ、「企業合理化」が促進されることになります。

1960~1969
合理化による地位の強化、あるいは凋落。三都の明暗


石油との競争にさらされ、大規模な合理化投資で生き残りをかけた空知。苫小牧港の出現で石炭積出港としての地位を奪われた室蘭と小樽。室蘭の鉄鋼業は依然として好調でしたが、日本経済全体が高度成長に向けて離陸する中で、「炭鉄港」地域がその地位を低下させる兆しが表れます。

D
主としてBから派生し道内との
関係・広がりという点で認識しておくべきストーリー

1970~
新たな「三都の軸」の出現。未来に生かす「炭鉄港」の資源とは?


1970年代半ばは、北海道にとって明治開拓以来の上り坂から、一転して下り坂へと向かう転換点でした。国内における資源調達先としての北海道の存在意義が急激に失われる中、「炭鉄港」の三都では新たなまちづくりもスタートしつつあります。北海道の150年にわたる歩みを「炭鉄港」を通じて捉え直すことで、この先の150年を描くとしたら…?

 これら4区分のウェイトは、等分ではありません。Bを主体にしながらも、Cの結果としての「すでに起きた未来」というアンハッピーな展開まで描くことが、《炭鉄港》ストーリーの独自性です。
 Aは、発端を理解するための補助線のような存在であり、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」との関連性・比較の上で不可欠な存在です。Dは、A、B、Cから派生し全道各地への波及を示すサブストーリーで、いわば《炭鉄港》からの放物線としての存在です。