炭鉄港サイクリング 岩見沢~夕張コース
1日コース
JR岩見沢駅
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▼ 移動:自転車で1分
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岩見沢市
炭鉱の記憶マネジメントセンター⽯蔵
電話番号:0126-24-9901
市⺠団体が運営する「炭鉱の記憶」のセンター施設。地域情報のインフォメーションセンターでもあり、カフェコーナーやグッズ販売コーナーもある。1909(明治42)年建築の⽯蔵も併設。
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▼ 移動:自転車で35分
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岩見沢市
上志⽂駅舎
1914(⼤正3)年万字線開通に伴い開駅。1966(昭和41)年岩⾒沢萩の⼭市⺠スキー場が開業し、「⽇本で最も駅に近いスキー場」を売りに、冬季は賑わった。1985(昭和60)年万字線廃⽌に伴い廃駅。
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▼ 移動:自転車で25分
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岩見沢市
朝⽇駅舎
1919(⼤正8)年に開駅。その後、朝⽇炭鉱の⽯炭積出駅としての性格を強めるが、1985(昭和60)年万字線廃⽌に伴い廃駅。廃線後、周辺が万字線鉄道公園として整備されB20形蒸気機関⾞が移設された。
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▼ 移動:自転車で50分
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岩見沢市
旧英橋
1937(昭和12)年に竣⼯した⼆代⽬の本橋。万字地区⾃慢の橋だったという。現在の三代⽬英橋が竣功したため廃橋となったが、構造はそのまま残されており融雪期や晩秋には橋全体の形状がよく確認できる。
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▼ 移動:自転車で3分
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岩見沢市
万字炭⼭森林公園
1903(明治36)年に朝吹英⼆から鉱区を譲り受け、同家の家紋である卍にちなんで命名された万字炭鉱。閉⼭後、ホッパーの基礎の⼀部など痕跡を残し、万字炭⼭森林公園として整備され、憩いの場となっている。
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▼ 移動:自転車で1時間25分
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夕張市
旧北炭⼣張炭鉱模擬坑道(⼣張市⽯炭博物館)
電話番号:0123-52-5500
公開されている国内唯⼀の⽯炭層に設けられた模擬坑道である。1939(昭和14)年に皇族が⼣張を訪れた際に⾒学⽤坑道として整備された。その後、⽯炭博物館の開館の際に、展⽰⽤模擬坑道として完成。
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▼ 移動:徒歩で1分
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夕張市
採炭救国坑夫の像
⽯炭産業に従事する⼈々の激励・慰問のために建設された像。完成当時は「進発の像」と呼ばれたが、戦後、⽯炭増産が経済復興を進める上で最重要課題となる中で「採炭救国坑夫像」と呼ばれるようになった。
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▼ 移動:徒歩で1分
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夕張市
旧北炭⼣張炭鉱天⿓坑⼝
1900(明治33)年に第三斜坑として開坑、1918(⼤正7)年に天⿓坑と改称された。⼣張炭鉱初期の主要坑道だったが、1938(昭和13)年にガス爆発事故(死者161名)が発⽣し採炭が中⽌された。
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▼ 移動:徒歩1分
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⼣張の⽯炭⼤露頭「⼣張 24 尺層」
新⽣代古第三紀(約5,000万年前)の地層が地上に露出した露頭で、⽯狩層群⼣張層の基底部にあたる。国内に他に例のない⼤規模なもので、天然標本として非常に貴重であるとともに、⼣張のまちの出発点でもある。
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▼ 移動:自転車で25分
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夕張市
幸福の⻩⾊いハンカチ想い出ひろば
1977(昭和52)年公開に公開された、『幸福の⻩⾊いハンカチ』のラストシーンを再現した施設。ロケ地となった炭鉱住宅が保存公開され、撮影⽤の⾞や⼩道具が展⽰されている。
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▼ 移動:自転車で25分
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夕張市
北炭清⽔沢炭鉱事務所・繰込所
北炭清⽔沢炭鉱の繰込所。当時の姿をそのまま残す事務所と繰込所は、開発資⾦圧縮の影響を受け⼩規模なものながら、戦後復興の期待を込めて開発された炭鉱らしい明るいフォルムを持っている。
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▼ 移動:自転車で25分
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三菱⼤⼣張鉄道⾞輌
三菱鉱業⼤⼣張鉄道の南⼤⼣張駅に置かれている同鉄道の⾞両群で、⻄⽅から配置順に次の通り。ラッセル⾞「キ1」、客⾞「スハニ6」、客⾞「オハ1」、客⾞「ナハフ1」、⽯炭⾞「セキ1」、⽯炭⾞「セキ2」。
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▼ 移動:自転車で45分
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夕張市
北炭清⽔沢⽕⼒発電所
坑内電化の普及と事業発展による電⼒需要をまかなうため、1926 年(⼤正15)年に運転開始。その後増設を重ね、終戦後の電⼒不⾜の解消にも貢献。送電先の炭鉱の閉⼭により1990(平成2)年に操業を停⽌。
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▼ 移動:自転車で4分
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夕張市
清⽔沢宮前町・清栄町住宅
清⽔沢宮前町・清栄町は、様々なタイプの住宅が混在し、所属も多岐に渡っていたという点で珍しく、今も住⺠(⼤半は元炭鉱従業員)が居住し、地区中⼼としての浴場・集会所が残っているという点で貴重である。
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▼ 移動:徒歩1分
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夕張市
北炭清⽔沢炭鉱ズリ⼭
北炭清⽔沢炭鉱のズリ⼭。⼣張川右岸河岸段丘の上位⾯にあった選炭機からのズリと、下位⾯にあった北炭清⽔沢⽕⼒発電所からの⽯炭焼却灰を積み上げるため、両施設の近傍に幾つかのズリ⼭が築かれた。
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▼ 移動:自転車で75分
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栗山町
夕張鉄道の駅舎(新二岐・継立)
1926(大正15)年に開通した夕張鉄道は夕張炭田の石炭を小樽に運ぶ目的で建設された。新二岐駅・継立駅とも、夕張鉄道の駅。夕張鉄道線の廃止に伴い、両駅とも1975(昭和50)年に廃止された。
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▼ 移動:自転車で55分
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711赤い電車
1967(昭和42)年に設計・開発された日本初の量産近郊型交流電車であり、徹底した耐寒耐雪機能を考慮した初の北海道向け電車。2015(平成27)年3月13日に老朽化のため全車廃止となった。
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▼ 移動:自転車で35分
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JR岩見沢駅