夕張の炭鉱(2)
概要 |
夕張の炭鉱は、戦争による石炭の大増産を経て一気に活性化した。しかし、終戦直後は戦時中の乱掘による坑内の荒廃や資材不足、外国人(朝鮮人、中国人)労働者の一斉帰還による労働力不足により出炭量は低迷した。その後、石炭増産による戦後復興を目的に資源を集中投下する「傾斜生産方式」が推し進められた。昭和33年(1958年)に炭鉱数は158となり、北海道内の炭鉱が最も繁栄した時代を迎える。 |
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自治体 | 夕張市 |
種別 | 炭鉱 鉄道 その他 |
メディア | 写真 |
分野 | 産業 労働 暮らし・行事 |
年代 | 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 年代不明 |
説明 | 平和坑は昭和12年(1937年)に開坑した。平和坑の坑口浴場。 |
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資料番号 | 03_n_002_0001 |
撮影年 | 昭和30年代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 平和坑の坑口浴場。 安藤文雄さん撮影 |
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資料番号 | 03_n_002_0002 |
撮影年 | 昭和31年(1956年) |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 平和坑のズリ山の下を流れる志幌加別川からの川炭揚げ。 安藤文雄さん撮影 |
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資料番号 | 03_n_002_0003 |
撮影年 | 昭和39年(1964年) |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 平和坑の選炭場 |
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資料番号 | 03_n_002_0004 |
撮影年 | 昭和40年代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭平和鉱業所の全景 |
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資料番号 | 03_n_002_0005 |
撮影年 | 昭和40年代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 平和炭鉱生活協同組合は昭和28年(1958)に設立された。 |
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資料番号 | 03_n_002_0006 |
撮影年 | 昭和40年代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 平和坑のズリ山横を運行するSL。 安藤文雄さん撮影 |
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資料番号 | 03_n_002_0007 |
撮影年 | 昭和49年(1974年) |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 北炭平和炭鉱はこの年3月に閉山。写真は12月の国鉄最後のSL運行で、閉山後の平和鉱跡の横を走っている。安藤文雄さん撮影 |
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資料番号 | 03_n_002_0008 |
撮影年 | 昭和50年(1975年) |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 平和3区の炭鉱住宅と夕張鉄道の石炭列車。 安藤文雄さん撮影 |
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資料番号 | 03_n_002_0009 |
撮影年 | 昭和50年(1975年) |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 清水沢炭鉱の選炭場。同鉱の本格的な採炭は昭和23年(1948年)に始まった。遠幌坑を併合した昭和27年(1952年)の生産量は年間約3万2000トン。 |
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資料番号 | 03_n_002_0010 |
撮影年 | 昭和20年代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 清水沢炭鉱の石炭は、石狩炭田の中では夕張・平和系炭と並ぶ最上位の優良炭だった。立坑(竪坑)は、昭和32年(1957年)に完成。 |
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資料番号 | 03_n_002_0011 |
撮影年 | 昭和30年代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭夕張炭鉱清水沢火力発電所。 奥に清水沢電力所の水力発電ダムが見える |
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資料番号 | 03_n_002_0012 |
撮影年 | 昭和30年代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭夕張炭鉱清水沢火力発電所。奥にはフライアッシュのズリ山と、清水沢炭鉱のズリ山が見える。 安藤文雄さん撮影 |
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資料番号 | 03_n_002_0013 |
撮影年 | 昭和40年(1965年) |
所蔵 | 個人蔵 |