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昭和20年(1945年)に完成した旧三井芦別鉄道の橋梁。橋長94メートル、鋼製6連プレートガーター桁橋とコンクリート造2連アーチからなり、深い渓谷に約30メートル、最大直径7メートルのコンクリート製橋脚が5本連続して立つ。橋梁上にはディーゼル機関車DD501と石炭専用貨車セキ3820が展示され、当時の様子を今に伝えている。国の登録有形文化財。
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旧三井芦別専用鉄道は、昭和15年(1940年)石炭を中心とした物資輸送のために設置されたが、炭鉱の拡大により従業員や家族の輸送が必要となり、昭和17年(1942年)から旅客列車の運行も始まった。
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橋梁の建設は、戦時中の物資統制下にあり資材不足に悩まされていたため、当時の大阪鉄道局から払い下げられた6連プレートを鉄道で運搬し据え付けられた。
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旧三井芦別鉄道炭山川橋梁の建設工事。昭和19年(1944年)、頼城鉱開発に着手したのに伴い専用線も延長。炭山川橋梁を含む橋梁2基を建設した。昭和20年(1945年)に芦別-頼城間9.11キロメートルが全線開通し、国の石炭増産の要請に応えた。
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当時、三井地区の住民の足であり、石炭貨車が47両も連結された貨物列車が走る光景は炭鉱街ならではの風物詩であったが、昭和47年(1972年)に旅客営業が廃止となり、石炭運搬も次第にトラック運送に置き換わっていった。
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概要
三井芦別炭鉱は「芦別五山」として知られる大手5炭鉱のひとつ。昭和14年(1939年)、三井鉱業所一抗が開坑。昭和30年代前半には市内に4500人あまりの従業員数がいたとみられる。平成4年(1992年)閉山。
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概要
「芦別五山」として知られる大手5炭鉱のひとつ。三菱合資会社が大正時代に上芦別の京都植民協会の農地を買収して開鉱した。昭和8年(1933年)、三菱鉱業は休業するが、戦後の昭和22年(1947年)に事業を再開した。昭和39年(1964年)閉山。
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概要
大正時代、滝川・富良野間の鉄道開通に伴い、下芦別駅・野花南駅・奔茂尻駅が開業。下芦別駅は昭和21年(1946年)、芦別駅となった。各炭鉱では運炭用の専用鉄道も設置され、そのうち旧三井芦別鉄道の炭山川橋梁は日本遺産「炭鉄港」の構成文化財になっている。
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