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北側から撮影した岩見沢操車場跡。完成は大正15年(1926年)。5線群からなる。昭和30年代後半の操車能力は1日2500両で、東北以北最大の操車場と言われた。石炭輸送と電気機関車けん引列車の廃止により、平成6年(1994年)、68年の歴史に幕を閉じた。
この写真を商用利用する場合は、必ず事前に炭鉄港推進協議会
(mail:sorachi.chisei2@pref.hokkaido.lg.jp)
までご連絡下さい。
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石炭輸送の中継地として重要な役割を果たし、岩見沢発展の原動力ともなった操車場。大正11年(1922年)に建設が始まり、大正15年(1926年)に完成。5線群からなり、操車能力は当初の1日平均1617両から、2回の改良工事を経て昭和30年代後半には1日2500両に増強され、東北以北最大の操車場と言われた。石炭輸送と電気機関車けん引列車の廃止により、平成6年(1994年)、68年の歴史に幕を閉じた。
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使用開始を待つ操北構内。取り扱う貨物の量が増えて操車場が手狭になったことから、一部線群を移設する改良工事が行われた。操車場の北側に移設されたことから操北と呼ばれた。
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岩見沢操車場では、昭和34年(1959年)から昭和37年(1962年)にかけて第2期改良工事が行われた。操車能力はそれまでの1日1800両から2500両に増強され、東北以北最大の操車場と言われた。岩見沢駅の全盛期は昭和30年代後半から昭和40年代初めにかけて。ヤードを含む構内総面積は約137万平方メートル、構内線路の総延長は95キロに達した。
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