住友赤平炭鉱(2)

概要

住友赤平炭鉱は、昭和13年(1938年)開鉱、平成6年(1994年)閉山。住友系の道内主力炭鉱。昭和38年(1963年)に完成した立坑は、効率出炭を追求した施設で、当時「東洋一の立坑」と呼ばれた。56年間の総出炭量は4939万トン。住友赤平の閉山により、赤平では1世紀にわたる炭鉱の歴史に幕を閉じた。写真は、1日の労働を終え、入浴する炭鉱マン。

自治体 赤平市
種別 炭鉱
メディア 写真
分野 産業 労働 暮らし・行事 芸術・スポーツ
年代 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 平成以降(1989~)
説明 住友赤平炭鉱では、立坑完成により入坑・出坑にかかっていた時間的ロスも改善。効率化が進み、出炭量は昭和37年度(1962年度)の124万トンから、38年度(1963年)は166万トンに増加した。
資料番号 07_n_002_0001
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 入坑する坑内員。住友赤平炭鉱は、最盛期の昭和42年度(1967年度)に約190万トンを出炭。従業員も4574人とピークだった。
資料番号 07_n_002_0003
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱。深さ350メートルの立坑坑底待合室で出坑を待つ坑内員。
資料番号 07_n_002_0004
撮影年 昭和40年(1965年)
所蔵 赤平市
説明 1日の激しい労働を終えて出坑する住友赤平炭鉱の坑内員。
資料番号 07_n_002_0005
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 入浴前の更衣室では、着衣をかごに入れて天井に吊るす。狭い更衣室を効率よく使う工夫で、まちの人には驚きの目で見られたという。
資料番号 07_n_002_0006
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 坑内員にとって、1日の労働を終えた後の入浴は憩いの時間。風呂は汗と炭じんを洗い流すだけの場所ではなく、作業現場の情報交換の場であり、社交場でもあった。
資料番号 07_n_002_0007
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の選炭機内部。
資料番号 07_n_002_0008
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱選炭機の精炭ポケットと貨車積み施設。
資料番号 07_n_002_0009
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 石炭以外の岩石や土砂などは「ズリ」と呼ばれ、採掘後の充填物として利用されるほかは、ズリ山に運ばれる。大雨でズリ山に敷設されたレ-ルが曲がることもある。
資料番号 07_n_002_0010
撮影年 昭和38年(1963年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱のガス発電所竣工式。炭層に含まれるメタンガスを活用、炭鉱と住宅街で使われる電力の約8割を賄った。
資料番号 07_n_002_0011
撮影年 昭和39年(1964年)
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱のガス発電所。
資料番号 07_n_002_0012
撮影年 昭和45年(1970年)
所蔵 赤平市
説明 昭和26年(1951年)に建設された、住友赤平炭鉱の接待館。視察などのため、会社幹部や政治家が訪れた際に利用された。
資料番号 07_n_002_0013
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の野球場。
資料番号 07_n_002_0014
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱は、平成6年(1994年)2月に閉山。最後の入坑者への花束贈呈。
資料番号 07_n_002_0015
撮影年 平成6年(1994年)
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の閉山当日、最後の入坑者が坑底に清酒を捧げた。
資料番号 07_n_002_0016
撮影年 平成6年(1994年)
所蔵 赤平市