北炭赤間炭鉱

概要

北炭赤間炭鉱は、昭和13年(1938年)開鉱。昭和40年(1965年)に北炭子会社の空知炭砿(歌志内)と合併し、昭和48年(1973年)まで採炭を続けた。最盛期の昭和45年(1970年)には、約53万トンを出炭。35年にわたって排出されたズリが積み重なってできた山は、赤平市が開基100年記念事業として階段と展望台を整備した。ズリ山階段数777段は日本一。写真は、北炭赤間炭鉱選炭工場と赤平駅構内。

自治体 赤平市
種別 炭鉱 鉄道
メディア 写真 印刷物
分野 産業 労働 暮らし・行事
年代 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988)
説明 本坑と呼ばれる北炭赤間炭鉱の主力坑口は百戸地区にあり、開鉱当時、赤平駅に隣接する選炭工場までの石炭輸送には索道が使われた。索道は昭和16年(1941年)の赤間橋完成により使命を終えた。
資料番号 07_n_003_0001
撮影年 昭和13年(1938年)ころ
所蔵 赤平市
説明 建設中の北炭赤間炭鉱選炭機。
資料番号 07_n_003_0002
撮影年 昭和14年(1939年)
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱。赤平駅裏の貯炭場。
資料番号 07_n_003_0003
撮影年 昭和20年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱の本坑坑口。
資料番号 07_n_003_0004
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱事務所。昭和48年(1973年)の閉山に伴い閉鎖され、その後は建設資材保管場所などに転用された。
資料番号 07_n_003_0005
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱では、昭和20年(1945年)当時、約250人の中国人が働いており、一部が「英星寮」に住んでいた。戦後の住宅難のため昭和30年代後半までアパ-トとして使用された。
資料番号 07_n_003_0006
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 トロリー機関車が引く炭車と赤間橋。
資料番号 07_n_003_0007
撮影年 昭和38年(1963年)
所蔵 赤平市
説明 昭和35年(1960年)、北炭は、万字・美流渡・赤間の3炭鉱を分離する合理化案を組合に提示、激しい争議となった。写真は、赤間炭鉱で就労派のバスを阻止する分離反対派の組合員。
資料番号 07_n_003_0008
撮影年 昭和35年(1960年)
所蔵 赤平市
説明 北炭3山分離反対闘争で活躍したオートバイ部隊。
資料番号 07_n_003_0009
撮影年 昭和35年(1960年)
所蔵 赤平市
説明 北炭3山分離反対闘争のころの北炭赤間炭鉱の本坑繰込所。
資料番号 07_n_003_0010
撮影年 昭和30年代半ば
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱選炭工場と赤平駅構内。
資料番号 07_n_003_0011
撮影年 昭和40年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱の選炭工場は、東側の本坑と西側の末広坑との中間地点にあり、赤平駅に隣接していたため石炭の輸送には便利だった。
資料番号 07_n_003_0012
撮影年 昭和40年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱の選炭機。
資料番号 07_n_003_0013
撮影年 昭和40年(1965年)
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱の選炭詰所と揚炭ベルト。
資料番号 07_n_003_0014
撮影年 昭和40年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱の事務所。
資料番号 07_n_003_0015
撮影年 昭和40年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱の従業員募集ポスター。
資料番号 07_n_003_0016
撮影年 昭和40年代前半
所蔵 赤平市
説明 昭和47年(1972年)、空知炭砿と北炭赤間炭鉱の連絡坑道が貫通。
資料番号 07_n_003_0017
撮影年 昭和47年(1972年)
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱閉山に反対する組合臨時大会。
資料番号 07_n_003_0018
撮影年 昭和47年(1972年)
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱は昭和48年(1973年) に閉山。労働組合も解散した。組合旗を焼く組合幹部。
資料番号 07_n_003_0019
撮影年 昭和48年(1973年)
所蔵 赤平市
説明 昭和48年(1973年)4月10日赤間炭鉱閉山式のひとこま。
資料番号 07_n_003_0020
撮影年 昭和48年(1973年)
所蔵 赤平市