赤平の暮らし・行事(1)

概要

赤平市は明治24年(1891年)に開拓が始まった。大正2年(1913年)に鉄道が開通し、大正7年(1918年)には茂尻炭鉱が開鉱。昭和10年代初めに住友赤平、北炭赤間、豊里の各炭鉱が相次いで開鉱し「石炭のまち」として発展した。炭鉱を中心に開かれたまちは狭い範囲に職住が接近し、人々の間には炭鉱独特の強いきずながあり、「一山一家」という意識が育まれた。写真は、住友赤平炭鉱のプール。

自治体 赤平市
種別 炭鉱 その他
メディア 写真
分野 暮らし・行事 芸術・スポーツ その他
年代 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
説明 炭鉱で働く労働者の募集、入出坑の管理、住宅や家族の世話など、炭鉱独特の業務として「労務」という係があった。写真は開鉱当時の労務事務所で、炭住には「世話所」が設けられた。
資料番号 07_n_007_0001
撮影年 昭和15年(1940年)
所蔵 赤平市
説明 戦時中の赤平市街地の消火訓練。屋根に焼夷弾が落ちたと想定し、バケツリレーをして水を注ぐ。
資料番号 07_n_007_0002
撮影年 昭和10年代後半
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の従業員子弟の葬儀。
資料番号 07_n_007_0003
撮影年 昭和16年(1941年)
所蔵 赤平市
説明 土管の煙突が並ぶ炭鉱住宅。一口に炭鉱住宅といっても、各炭鉱によって設計に特色があり間取りにも大きな違いがあった。大手と中小炭鉱の間にも格差があった。
資料番号 07_n_007_0004
撮影年 昭和20年(1945年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の炭鉱住宅。写真中央の共同水道は、冬期間は凍結を防ぐため水を流したままにしていた。
資料番号 07_n_007_0005
撮影年 昭和20年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱など大手4炭鉱には水道があり、農村や町の人々がポンプや井戸を利用しているのに比べて近代的な生活だった。水運びは、女性と子どもの仕事だった。
資料番号 07_n_007_0006
撮影年 昭和20年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の炭鉱住宅。炭鉱住宅、いわゆる「炭住」は、大量に採用された従業員の住宅を効率よく建設するため、同一規格とされた。これが、地域の連帯を生み出すことにもつながった。
資料番号 07_n_007_0007
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 昭和20年代後半の炭鉱祭り(山神祭)。住友赤平炭鉱の坑外進発所前の本みこし。祭り期間は、炭鉱も学校も休みとなり、町中が熱気に包まれた。
資料番号 07_n_007_0008
撮影年 昭和20年代後半
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の世話所。炭鉱は、会社ぐるみで従業員の生活を助けるため、炭住街の一角に世話所を設け、労務係という職員を配置した。写真は、会計日に賃金を受け取りに来た主婦たち。
資料番号 07_n_007_0009
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 洗炭(石炭を水で洗って不純物などを取り除く選炭作業の一工程)に大量の水を使う炭鉱は、戦前から専用水道を整備。一部は家庭用に回され、炭住には共同水道が設けられた。
資料番号 07_n_007_0010
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の炭鉱住宅に設けられた共同便所。長屋式の炭住数棟に1棟設けられていた。
資料番号 07_n_007_0011
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の炭鉱住宅にて。近所の人々に見送られる花嫁。
資料番号 07_n_007_0012
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の炭鉱住宅にて。近所の人々に見送られる花嫁。
資料番号 07_n_007_0013
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 炭鉱住宅の葬儀。住友赤平炭鉱。
資料番号 07_n_007_0014
撮影年 昭和34年(1959年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の社宅街の葬儀。
資料番号 07_n_007_0015
撮影年 不明
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱開鉱から4年後の昭和17年(1942年)に建設された住友親友会館は、1000を超える客席を持ち、映画、演劇、有名歌手のショ-などの公演の会場となった。
資料番号 07_n_007_0016
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱のプール。
資料番号 07_n_007_0017
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱。炭鉱祭り(山神祭)の子どもみこし。みこしは父親たちの手作りだった。
資料番号 07_n_007_0018
撮影年 昭和37年(1962年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平炭鉱の炭鉱祭り(山神祭)。写真は、住友改良住宅前でみこしをかつぐ子供たち。炭鉱祭りは、スポ-ツや文化行事など多彩なイベントが催され、町中が沸いた。
資料番号 07_n_007_0019
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 昭和25年(1950年)に建設された赤間会館は、娯楽の殿堂・憩いの場としての役割を果たし、閉山後は倉庫などに転用されたが、平成6年(1994年)に火災で焼失した。
資料番号 07_n_007_0020
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱。昭和30年代の炭鉱祭り(山神祭)子どもみこし。
資料番号 07_n_007_0021
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱。炭鉱住宅を練り歩く子どもみこし。
資料番号 07_n_007_0022
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱。炭鉱住宅の共同水道前で遊ぶ子どもたち。
資料番号 07_n_007_0023
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 炭鉱で働く人々を激励しようと、昭和35年(1960年)、大相撲一行が赤平を訪れた。赤間球場に特設の土俵を設けて行われた赤平場所を終えて、ファンとくつろぐ横綱若乃花関。
資料番号 07_n_007_0024
撮影年 昭和35年(1960年)
所蔵 赤平市