赤平の暮らし・行事(3)

概要

赤平市は明治24年(1891年)に開拓が始まった。大正2年(1913年)に鉄道開通、大正7年(1918年)には茂尻炭鉱が開鉱。昭和10年代初めに住友赤平、北炭赤間、豊里の各炭鉱が相次いで開鉱し「石炭のまち」として発展した。炭鉱を中心に開かれたまちは狭い範囲に職住が接近し、人々の間には炭鉱独特の強いきずながあり、「一山一家」という意識が育まれた。写真は、赤平村誕生から間もないころの村議会議員ら。

自治体 赤平市
種別 その他
メディア 写真
分野 暮らし・行事 教育・学校 その他
年代 大正以前(~1911) 大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
説明 開拓が始まった明治中期、まだ道路は開かれていなかったため、石狩川や空知川が重要な交通路だった。人々の往来や農産物の輸送に帆かけ船が活躍した。
資料番号 07_n_009_0001
撮影年 明治時代
所蔵 赤平市
説明 大正11年(1922年)4月1日、歌志内村から分村して赤平村が誕生。誕生から間もないころの村議会議員と役場吏員。
資料番号 07_n_009_0002
撮影年 大正11年(1922年)
所蔵 赤平市
説明 明治28年(1895年)に上赤平地区への入植が始まってから35周年を記念して、昭和5(1930年)年9月5日、上赤平小学校の校庭に「上赤平開拓碑」が建立された。
資料番号 07_n_009_0003
撮影年 昭和5年(1930年)
所蔵 赤平市
説明 空知川を挟んで、茂尻炭鉱と市街地、対岸の百戸地区を結ぶのは、開拓以来続いていた渡船だった。建設中の百戸橋のかたわらを渡船が通過している珍しい1枚。
資料番号 07_n_009_0004
撮影年 昭和20年代
所蔵 赤平市
説明 空知川の渡船は、両岸に張られたワイヤーを利用することで安全に渡ることができた。昭和28年(1953年)11月に百戸橋が完成、入植以来利用された渡船も62年の歴史に幕を下した。
資料番号 07_n_009_0005
撮影年 昭和5(1930年)年
所蔵 赤平市
説明 昭和28年(1953年)年11月、完成した百戸橋で行われた渡橋式。
資料番号 07_n_009_0006
撮影年 昭和28年(1953年)
所蔵 赤平市
説明 北炭赤間炭鉱の石炭輸送のために架けられた赤間橋は、閉山後も一般交通用として利用されたが、老朽化のため平成11年(1999年)に解体された。
資料番号 07_n_009_0007
撮影年 不明
所蔵 赤平市