赤平の学校

概要

赤平では、最初に開拓が始まった百戸地区で明治27年(1894年)から寺子屋式の教育が行われ、後に百戸簡易教育所として初の公認教育機関となった。各地域にも簡易教育所が開設された。昭和12年(1937年)の日中戦争開始で石炭需要が高まり、豊里、北炭赤間、住友赤平の各炭鉱が相次いで開鉱。急激に児童数が増えたことから、各炭鉱が敷地や資金・資材を提供した「炭山学校」が相次いで誕生した。

自治体 赤平市
種別 炭鉱 その他
メディア 写真
分野 暮らし・行事 教育・学校 その他
年代 大正以前(~1911) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967)
説明 明治41年(1908年)夏に行われた幌倉簡易教育所の運動会。空知川沿岸では初めての運動会といわれている。幌倉簡易教育所は、平成14年(2002年)に閉校した幌岡小学校の前身。
資料番号 07_n_013_0001
撮影年 明治41年(1908年)
所蔵 赤平市
説明 住友赤平国民学校のラジオ体操。同校の前身は赤平尋常高等小学校住友分教室。昭和16年(1941年)4月に開校したが、校舎建設が間に合わず、炭鉱の従業員社宅を仮校舎としていた。
資料番号 07_n_013_0002
撮影年 昭和16年(1941年)
所蔵 赤平市
説明 住友赤平小学校校舎。
資料番号 07_n_013_0003
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市
説明 住友赤平小学校の給食風景。
資料番号 07_n_013_0004
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 住友赤平中学校。
資料番号 07_n_013_0005
撮影年 昭和40年(1965年)ころ
所蔵 赤平市
説明 赤間保育園。
資料番号 07_n_013_0006
撮影年 昭和40年代
所蔵 赤平市
説明 昭和初期の茂尻小学校。同校は明治32年(1899年)、ピラケシ簡易教育場として開校。昭和5年(1930年)に茂尻尋常高等小学校、昭和16年(1941年)に茂尻国民学校となった。
資料番号 07_n_013_0007
撮影年 昭和初期
所蔵 赤平市
説明 豊里国民学校の運動会。同校は、昭和14年(1939年)の開校時から教室が足りず、2度にわたって校舎を増築。昭和16年(1941年)ころの1学級当たりの児童数は60人を超えていた。
資料番号 07_n_013_0008
撮影年 昭和16年(1941年)ころ
所蔵 赤平市
説明 豊里小学校の運動会。
資料番号 07_n_013_0009
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市
説明 空知川を渡る通学渡船。奥に見えるのが赤平高校。昭和36年(1961年)の豊橋完成まで利用された。
資料番号 07_n_013_0010
撮影年 昭和30年代
所蔵 赤平市