赤平の農業

概要

明治27年(1894年)に、百戸地区の農家が水稲栽培の試作に成功したのが、赤平の農業の始まりといわれる。翌年、同じ農家が赤毛種を栽培し好成績だったことから、作付けする農家が増え始めた。後に水利も整備され造田が進んだ。

自治体 赤平市
種別 その他
メディア 写真
分野 産業 労働
年代 昭和中期(1946~1967)
説明 田の代かき。代かきとは、田に水を引いて土の塊を砕き、田の表面を平らにする作業。昭和30年代前半は、馬による代かきが行われていた。
資料番号 07_n_015_0001
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市
説明 百戸地区の田植え風景。田植えは一家総出、または地域の人たちとの共同作業であり、時には炭鉱の主婦たちも作業に雇われて貴重な役割を担っていた。
資料番号 07_n_015_0002
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市
説明 百戸地区の稲刈り風景。まだ機械は導入されておらず、稲は人の手によって一株一株刈り取られ、束にされて稲架(はさ)がけされ、天日干しされた。
資料番号 07_n_015_0003
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市
説明 百戸地区の稲刈り風景。
資料番号 07_n_015_0004
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市
説明 百戸地区の稲架(はさ)がけ作業。天日干しされた稲は、人の手で脱穀された。
資料番号 07_n_015_0005
撮影年 昭和30年(1955年)ころ
所蔵 赤平市