三菱美唄炭鉱(2)

概要

三菱美唄炭鉱は大正2年(1913年)開鉱。大夕張と並ぶ道内三菱の主力炭鉱。効率出炭を目指して建設された竪坑は、大正12年(1923年)に完成。昭和19年(1944年)には戦前最高の189万トンの出炭を記録した。昭和40年(1965年)に三菱鉱業から分離して美唄炭鉱となる。昭和46年(1971年)に三菱大夕張炭砿と合併したが、翌年に閉山。写真は、閉山により解散する三菱美唄労働組合。

自治体 美唄市
種別 炭鉱 その他
メディア 写真
分野 産業 労働 その他
年代 昭和後期(1968~1988) 年代不明
説明 美唄炭鉱2坑でガス爆発事故が発生。死者16人、負傷者4人。事故後の坑内。
資料番号 05_n_002_0001
撮影年 昭和43年(1968年)
所蔵 美唄市教育委員会
説明 三菱大夕張炭砿美唄砿業所の閉山式典。
資料番号 05_n_002_0005
撮影年 昭和47年(1972年)
所蔵 美唄市教育委員会
説明 閉山により、最盛期には組合員6000人を超えた三菱美唄労働組合も解散。組合旗返魂式の様子。
資料番号 05_n_002_0006
撮影年 昭和47年(1972年)
所蔵 美唄市教育委員会
説明 入り口前の立て看板は「全山大会々場」。会場は常盤小学校。
資料番号 05_n_002_0007
撮影年 不明
所蔵 美唄市教育委員会
説明 三菱大夕張炭鉱美唄砿業所。閉山後の施設の取り壊し作業。
資料番号 05_n_002_0008
撮影年 不明
所蔵 美唄市教育委員会
説明 三菱大夕張炭鉱美唄砿業所。閉山後の施設の取り壊し作業。
資料番号 05_n_002_0009
撮影年 昭和47年(1972年)
所蔵 美唄市教育委員会