美唄の鉄道
概要 |
大量の石炭を運ぶため、三菱美唄鉄道、三菱茶志内鉄道、国鉄南美唄支線といった専用鉄道が敷設された。昭和48年(1973年)の北菱我路炭鉱の閉山で、市内すべての炭鉱が坑口を閉ざすこととなり、専用鉄道も廃線となった。 |
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自治体 | 美唄市 |
種別 | 炭鉱 鉄道 その他 |
メディア | 写真 |
分野 | 産業 暮らし・行事 その他 |
年代 | 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 年代不明 |
説明 | 美唄炭山駅。 |
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資料番号 | 05_n_007_0001 |
撮影年 | 不明 |
所蔵 | 美唄市教育委員会 |
説明 | 除雪するキ101。車体に三菱マークが見える。 |
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資料番号 | 05_n_007_0002 |
撮影年 | 不明 |
所蔵 | 美唄市教育委員会 |
説明 | 三菱美唄炭鉱と常盤台駅。 |
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資料番号 | 05_n_007_0003 |
撮影年 | 不明 |
所蔵 | 美唄市教育委員会 |
説明 | 美唄鉄道で石炭輸送に活躍した9600形の6号。美唄鉄道は、大正3年(1914年)に美唄駅から沼貝駅(後に美唄炭山駅と改称)まで8キロ余りの区間で営業が始まった。 |
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資料番号 | 05_n_007_0004 |
撮影年 | 昭和30年代後半 |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 美唄鉄道で石炭輸送に活躍した4110形式十輪連結タンク機関車4号。 |
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資料番号 | 05_n_007_0005 |
撮影年 | 昭和30年代後半 |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 約60年にわたって石炭を運び続けた美唄鉄道は、大夕張炭鉱美唄鉱業所の閉山により、昭和47年(1972年)5月31日をもって廃止された。地域の住民に見送られる、さよなら列車。 |
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資料番号 | 05_n_007_0006 |
撮影年 | 昭和47年(1972年) |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 美唄鉄道のさよなら列車。 |
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資料番号 | 05_n_007_0007 |
撮影年 | 昭和47年(1972年) |
所蔵 | 個人蔵 |
説明 | 美唄炭山駅。閉山後の撮影と思われる。入口右側の柱は、コンクリートが剥がれ落ちている。 |
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資料番号 | 05_n_007_0008 |
撮影年 | 不明 |
所蔵 | 美唄市教育委員会 |