岩見沢の暮らし・行事(3)

概要

明治17年(1884年)から翌年にかけて、山口県や鳥取県など10県から士族277戸1503人が集団入植し、岩見沢の開拓が始まった。明治17年に岩見沢村となり、戸長役場、郵便局が設けられた。明治39年(1906年)町制施行、その2年後には函館に次いで北海道内2番目の上水道が完成。昭和18年(1943年)市制施行。平成18年(2006年)、栗沢町・北村を編入合併。

自治体 岩見沢市
種別 鉄道 その他
メディア 写真
分野 産業 労働 暮らし・行事 教育・学校 芸術・スポーツ その他
年代 昭和中期(1946~1967)
説明 昭和32年(1957年)に開設された市営鳩が丘プール。
資料番号 04_n_007_0001
撮影年 昭和32~33年(1957~1958年)
所蔵 岩見沢市
説明 皇太子殿下(明仁上皇陛下)を歓迎する岩見沢市民。旧市役所前で撮影。
資料番号 04_n_007_0002
撮影年 昭和33年(1958年)
所蔵 岩見沢市
説明 岩見沢駅ホームで皇太子殿下(明仁上皇陛下)を歓迎する岩見沢市民。
資料番号 04_n_007_0003
撮影年 昭和33年(1958年)
所蔵 岩見沢市
説明 岩見沢駅前広場を埋める日米安保条約反対のピケ隊。「岩見沢駅80年史」は「安保条約批准阻止闘争、4時30分から7時までピケ隊(6000人)のため、当駅の機能全く停止」と記している。
資料番号 04_n_007_0004
撮影年 昭和35年(1960年)
所蔵 出典「岩見沢駅80年史」昭和37年(1962年)発行
説明 昭和35年(1960年)に開設された上志文市民スキー場。札幌や江別、三笠からもスキーヤーが訪れたという。
資料番号 04_n_007_0005
撮影年 昭和36年(1961年)
所蔵 岩見沢市
説明 岩見沢小学校の入学式。同小の前身は、明治19年(1886年)創立の私立蛍雪学舎。同じく私立の入徳学舎(後の岩見沢市立東小学校)と併せ、明治23年(1890年)公立岩見沢小学校として開校。
資料番号 04_n_007_0006
撮影年 昭和36年(1961年)ころ
所蔵 岩見沢市
説明 赤ちゃんコンクール。
資料番号 04_n_007_0007
撮影年 昭和37年(1962年)ころ
所蔵 岩見沢市
説明 出初め式。
資料番号 04_n_007_0008
撮影年 昭和37年(1962年)
所蔵 岩見沢市
説明 岩見沢駅前で行われた第33回メーデーの集会。
資料番号 04_n_007_0009
撮影年 昭和37年(1962年)
所蔵 岩見沢市
説明 ラジオ体操。
資料番号 04_n_007_0010
撮影年 昭和37年(1962年)ころ
所蔵 岩見沢市
説明 中央小学校の新入学児童。同校は明治40年(1907年)、中央尋常小学校として開校。当初、町会議事堂を仮校舎としていた。
資料番号 04_n_007_0011
撮影年 昭和37年(1962年)
所蔵 岩見沢市
説明 機械化前の田植え風景。腰をかがめ、手でひと株ずつ植えていく作業は重労働だった。
資料番号 04_n_007_0012
撮影年 昭和37年(1962年)ころ
所蔵 岩見沢市
説明 明治時代に創業した温泉旅館・玉泉館の庭園は、桜や紅葉の名所として市民に親しまれた。
資料番号 04_n_007_0013
撮影年 昭和37年(1962年)ころ
所蔵 岩見沢市
説明 旧鳩が丘球場に作られたスケートリンク。
資料番号 04_n_007_0014
撮影年 昭和37年(1962年)
所蔵 岩見沢市
説明 昭和38年(1963年)、岩見沢は明治17年(1884年)の岩見沢村誕生から80年を迎えた。「祝80年」の人文字。
資料番号 04_n_007_0015
撮影年 昭和38年(1963年)
所蔵 岩見沢市
説明 昭和40年(1965年)11月27日午前1時40分ころ、岩見沢市2条西2丁目の第一中央市場から出火。商店などの建物密集地4561平方メートルを全焼し、大正14年(1925年)以来の大火となった。
資料番号 04_n_007_0016
撮影年 昭和40年(1965年)
所蔵 岩見沢市
説明 第一・第二・第三中央市場が連続した建物だったため煙道の役割をなし、延焼速度を速めたことや、通りが狭かったことなどが大火となった原因だった。
資料番号 04_n_007_0017
撮影年 昭和40年(1965年)
所蔵 岩見沢市
説明 出火から約6時間後の午前7時45分に鎮火。2条大火と呼ばれるこの火事では、91店舗、125世帯362人が被災した。死傷者はなかった。
資料番号 04_n_007_0018
撮影年 昭和40年(1965年)
所蔵 岩見沢市