栗山の暮らし・行事(1)
概要 |
明治21年(1888年)、宮城県仙台藩支藩角田藩士、泉麟太郎が「夕張開墾起業組合」を設立、7戸24人が阿野呂川左岸に入植したのが角田村(現栗山町)の始まり。「農業立村」の精神に基づく積極的な農地開発と、周辺の炭鉱開発・鉄道敷設により人口が増加し、明治40年(1907年)に1級村に昇格。昭和24年(1949年)に町制施行し、栗山町と改称した。写真は、角田村戸長役場と職員。 |
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自治体 | 栗山町 |
種別 | その他 |
メディア | 写真 |
分野 | 暮らし・行事 その他 |
年代 | 大正以前(~1911) 大正(1912~1925) |
説明 | 大木を切り倒し、頑丈に根を張った熊笹を刈り取る。先祖伝来の土地を離れ、病気や災害への不安に耐えながら、血のにじむような苦労を重ねて広大な原野を少しずつ開墾していく。 |
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資料番号 | 09_n_003_0001 |
撮影年 | 明治末期 |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 御真影を下賜された際の記念写真。厳しい開拓生活の中、人々は神仏の加護を信じ祈りを捧げた。大日本帝国憲法の下、神格化された天皇もまた信仰の対象であり、人々の心のよりどころだった。 |
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資料番号 | 09_n_003_0002 |
撮影年 | 明治27年(1894年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 角田村(現栗山町)は、明治23年(1890年)の設置当時は由仁戸長役場の管轄下にあった。明治33年(1900年)、角田村戸長役場として独立。翌年、庁舎の落成式と開庁式が行われた。その当時の役場庁舎。 |
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資料番号 | 09_n_003_0003 |
撮影年 | 明治34年(1901年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 明治35年(1902年)の角田村戸長役場と職員。員前列中央の人物が初代戸長の則武鉄蕉。この当時の角田村の人口は、約5900人だった。 |
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資料番号 | 09_n_003_0004 |
撮影年 | 明治35年(1902年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 越冬食料の準備作業の様子。開拓初期の入植者の主食は、裸麦、いなきび、馬鈴薯、かぼちゃ、とうもろこしなど。きのこやふきなどの山菜や川でとれる魚は豊富で、日々の副食にしたり貯蔵食にもした。 |
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資料番号 | 09_n_003_0005 |
撮影年 | 明治40年(1907年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 明治末期の開拓農家。礎石などの土台を用いず、柱を直接土中に埋め込んで立てた、いわゆる「掘っ立て小屋」。屋根は草葺き、外壁には木の皮を張っている。 |
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資料番号 | 09_n_003_0006 |
撮影年 | 明治末期 |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 明治末期、当時としては立派な民家。土台の上に建てられており、板壁、戸袋もある。 |
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資料番号 | 09_n_003_0007 |
撮影年 | 明治末期 |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 日露戦争に従軍して亡くなった今井権次郎陸軍伍長の村葬。角田村の有力者子弟だった。 |
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資料番号 | 09_n_003_0008 |
撮影年 | 明治39年(1906年)ころ |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 明治42年(1909年)に建設の大福座は、近隣町村にはない近代的芝居小屋だった。芝居のほか、映画、浪曲など多様な興行と名士の講演会などが行われ、角田村の文化・芸能・集会の場として長く活用された。 |
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資料番号 | 09_n_003_0009 |
撮影年 | 明治42年(1909年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 明治42年(1909年)、当時村長を務めていた泉麟太郎を会長に、角田村連合青年会が発足した。発足から間もないころの大会の様子。 |
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資料番号 | 09_n_003_0010 |
撮影年 | 明治42年(1909年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 角田村開村30周年式典。明治21年(1888年)、宮城県仙台藩支藩角田藩士、泉麟太郎が「夕張開墾起業組合」を設立、7戸24人が阿野呂川左岸(角田)に入植したのが角田村(現栗山町)の始まり。 |
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資料番号 | 09_n_003_0011 |
撮影年 | 大正7年(1918年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 角田神社で行われた、角田村開村30周年記念祭。2日間にわたって、盛大な行事が催された。 |
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資料番号 | 09_n_003_0012 |
撮影年 | 大正7年(1918年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 栗山町の基礎を築いた泉麟太郎の銅像除幕式は、大正12年(1923年)7月に角田村役場前庭で盛大に行われた。この銅像は、戦時中、貴金属献納で供出されたが、昭和25年(1950年)に再建された。 |
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資料番号 | 09_n_003_0013 |
撮影年 | 大正12年(1923年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 大正15年(1926年)5月、泉麟太郎(前列中央)が高松宮殿下に拝謁し、慰労の言葉を賜った。これは角田村にとって不朽の名誉として、村の有志が集まり角田神社に参拝して厳粛な奉告式を行った。 |
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資料番号 | 09_n_003_0014 |
撮影年 | 大正15年(1926年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 角田市街では、明治25年(1892年)の大火(35戸焼失)以来、住民から消防組創設が望まれており、明治43年(1910年)、有志が私設角田消防組を創設。角田神社で発会式を行った。翌年、公設に移管。 |
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資料番号 | 09_n_003_0015 |
撮影年 | 明治43年(1910年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 栗山消防組の小頭(組頭の補佐)と消防手(組頭・小頭の指揮を受けて消火活動に従事する)。 |
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資料番号 | 09_n_003_0016 |
撮影年 | 大正元年(1912年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 大正時代の民家のいろり。この時代の一般的ないろりよりは小さく、調理など日常の生活で使うものとは違うようだ。 |
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資料番号 | 09_n_003_0017 |
撮影年 | 大正4年(1915年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 大正6年(1917年)の栗山神社の秋祭り。 |
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資料番号 | 09_n_003_0018 |
撮影年 | 大正6年(1917年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 大正6年(1917年)の栗山神社の秋祭り。山車の踊り手と先導者。 |
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資料番号 | 09_n_003_0019 |
撮影年 | 大正6年(1917年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 栗山神社の秋祭りで、稚児行列に参加する子供たち。栗山神社は菅原道真を祭神とし、明治24年(1891年)創建。昭和27年(1952年)に栗山天満宮に改称した。 |
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資料番号 | 09_n_003_0020 |
撮影年 | 大正15年(1926年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 大正10年(1921年)12月に落成した角田村役場。れんが造り2階建ての文書保管文庫(庁舎後ろに屋根が見える建物)も建設された。この庁舎は昭和38年(1963年)まで使用された。 |
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資料番号 | 09_n_003_0021 |
撮影年 | 大正10年(1921年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 栗山消防組の大演習。この時代には、新しい消防自動車を持つことが、村の財力のバロメーターだったという。 |
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資料番号 | 09_n_003_0022 |
撮影年 | 大正10年(1921年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 栗山消防組大演習の一環として行われた消火訓練。 |
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資料番号 | 09_n_003_0023 |
撮影年 | 大正10年(1921年) |
所蔵 | 栗山町 |
説明 | 第1回国勢調査の審査票内容の確認作業。国勢調査は、大正9年(1920年)から5年に1度行われるようになった。 |
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資料番号 | 09_n_003_0024 |
撮影年 | 大正9年(1920年) |
所蔵 | 栗山町 |