太刀別炭鉱

概要

東京に本社を置く九州鉱山が、昭和36年(1961年)に開鉱。石炭産業に陰りが見えてきた時期だっただけに、沼田町にとって明るいニュースとして受け止められた。しかし、新坑開発の遅れなどで経営が悪化し、開鉱からわずか8年後の昭和44年(1969年)に閉山した。出炭のピークは、昭和41年(1966年)の約16万トン。

自治体 沼田町
種別 炭鉱 鉄道 その他
メディア 写真
分野 産業 労働 暮らし・行事
年代 昭和後期(1968~1988) 年代不明
説明 太刀別炭鉱の選炭場。
資料番号 11_n_004_0001
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱の送炭用索道。坑口から選炭場まで、山腹を約5キロわたってバケットが行き来した。
資料番号 11_n_004_0002
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱の選炭場と送炭用索道。左の建物は、留萌鉄道の太刀別駅。
資料番号 11_n_004_0003
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱の送炭用索道。送炭用索道は、山頂と山麓、山間の谷間など、陸上運搬が困難な場所に架設するもので、北海道では羽幌炭砿や開鉱当初の北炭赤間炭鉱などが導入していた。
資料番号 11_n_004_0004
撮影年 昭和43年(1968年)
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱の選炭場側で、送炭用索道の作業をする女性鉱員。
資料番号 11_n_004_0005
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱の選炭場側で、送炭用索道の作業をする女性鉱員。
資料番号 11_n_004_0006
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱の選炭場側で、送炭用索道の作業をする女性鉱員。
資料番号 11_n_004_0007
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱の住宅街。従業員数は、出炭開始の昭和38年(1963年)は230人、ピーク時の昭和41年(1966年)には439人だった。
資料番号 11_n_004_0008
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱事務所。
資料番号 11_n_004_0009
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 閉山後の留萌鉄道・太刀別駅。留萌鉄道は、昭和炭鉱・太刀別炭鉱の閉山と同じ昭和44年(1969年)に廃止された。送炭用索道も残骸になった。
資料番号 11_n_004_0010
撮影年 昭和44年(1969年)
所蔵 沼田町
説明 太刀別炭鉱閉山から2か月後の炭鉱住宅。残っている世帯はかなり少なくなっていたと思われる。
資料番号 11_n_004_0011
撮影年 昭和44年(1969年)
所蔵 沼田町