沼田の鉄道・交通

概要

留萌線(昭和6年留萌本線に改称)は、明治43年(1910年)に開通。「沼田開拓の祖」である沼田喜三郎が、鉄道用地などを寄付するとして鉄道敷設運動を展開し、当初計画にはなかった沼田地区を通過するルートが決定した。昭和10年(1935年)には札沼線が開通。また、昭和5年(1930年)には、石炭や木材を留萌港に積み出すため、九州の炭鉱資本によって敷設された留萌鉄道が開通した。

自治体 沼田町
種別 炭鉱 鉄道
メディア 写真
分野 産業 暮らし・行事 その他
年代 昭和中期(1946~1967) 昭和後期(1968~1988) 年代不明
説明 昭和10年(1935年)に全線開通した札沼線は、戦時中、休止に。戦後、沿線5村は団結して早期復活に向けた運動を展開。昭和31年(1956年)11月16日に全線で営業を再開した。
資料番号 11_n_009_0001
撮影年 昭和31年(1956年)
所蔵 沼田町
説明 札沼線が全線営業再開した昭和31年(1956年)11月16日の石狩沼田駅。この日は、猛吹雪となった。休止中、札沼線のレールは撤去され、樺太(サハリン)の鉄道敷設のために使われた。
資料番号 11_n_009_0002
撮影年 昭和31年(1956年)
所蔵 沼田町
説明 札沼線が全線営業再開した昭和31年(1956年)11月16日の石狩沼田駅。ホームには提灯が飾られ、くす玉も用意された。
資料番号 11_n_009_0003
撮影年 昭和31年(1956年)
所蔵 沼田町
説明 札沼線の全線営業再開を喜ぶ沿線住民。猛吹雪の中、各駅には、日の丸を持った人たちが、大勢詰めかけた。
資料番号 11_n_009_0004
撮影年 昭和31年(1956年)
所蔵 沼田町
説明 札沼線全線営業再開の祝賀会。
資料番号 11_n_009_0005
撮影年 昭和31年(1956年)
所蔵 沼田町
説明 石狩沼田駅。留萌線の駅として、明治43年(1910年)に開業した。当初の駅名は「沼田」だったが、大正13年(1924年)に「石狩沼田」に改称した。
資料番号 11_n_009_0006
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 石狩沼田駅とD61形蒸気機関車。D61形は6両が留萌本線と羽幌線を走った。写真の車両は現役引退当初は保管されていたが、昭和46年(1971年)に解体された。
資料番号 11_n_009_0007
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 石狩沼田駅のホーム。奥の建物は、暗渠排水用の素焼き土管を製造している野幌煉瓦陶管株式会社沼田陶管工場。
資料番号 11_n_009_0008
撮影年 昭和37年(1962年)
所蔵 沼田町
説明 石狩沼田駅。北空知の西側の玄関口としてにぎわい、昭和47年(1972年)までは札沼線の終点だった。
資料番号 11_n_009_0009
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 石狩沼田駅。
資料番号 11_n_009_0010
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 札沼線廃止反対総決起大会。
資料番号 11_n_009_0011
撮影年 昭和43年(1968年)
所蔵 沼田町
説明 石狩沼田駅のホーム。
資料番号 11_n_009_0012
撮影年 昭和46年(1971年)
所蔵 沼田町
説明 明治43年(1910年)開業の恵比島駅。留萌鉄道の起点。留萌鉄道は3炭鉱の操業が好調だった時代には、年間約50万トンの石炭と1日6往復で平均1000人を超える旅客を輸送した。
資料番号 11_n_009_0013
撮影年 不明
所蔵 沼田町
説明 留萌鉄道・新雨竜駅。昭和5年(1930年)の開業時は浅野炭山駅だったが、昭和27年(1952年)に浅野雨竜炭鉱の経営が古河鉱業に移譲されたのに伴い、新雨竜駅に改称。
資料番号 11_n_009_0014
撮影年 昭和43年(1968年)
所蔵 沼田町
説明 昭和5年(1930年)に開業した、留萌鉄道・昭和駅。
資料番号 11_n_009_0015
撮影年 昭和43年(1968年)
所蔵 沼田町
説明 太刀別駅は、太刀別炭鉱開鉱に伴い、昭和36年(1961年)に新設された留萌鉄道の駅。
資料番号 11_n_009_0016
撮影年 不明
所蔵 沼田町