樺戸集治監の歴史(1)

概要

樺戸集治監は、国内3か所目の集治監として明治14年(1881年)9月3日に開庁。設置の目的は、政治犯などの収容と北海道の開拓だった。一帯には看守と家族が移り住み、月形村が開村。囚人たちによって、原野は切り開かれて田畑となり、国道12号の前身である上川道路など数々の道路も作られ、開拓の礎を築いた。その後、囚人の減少や過酷な労働への批判が強まり、大正8年(1919年)に廃監となった。

自治体 月形町
種別 その他
メディア 写真
分野 労働 その他
年代 大正以前(~1911) 大正(1912~1925) 年代不明
説明 月形村開村翌年の明治15年(1882年)の撮影。本町通から見た樺戸集治監。
資料番号 10_n_001_0001
撮影年 明治15年(1882年)
所蔵 月形町
説明 円山からみた月形市街地。中央部に広がるのは、樺戸集治監(当時の名称は北海道集治監樺戸本監)の施設群。左奥は石狩川。
資料番号 10_n_001_0002
撮影年 明治31年(1898年)
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監に服役する囚人は外輪船が曳航する護送用のはしけに乗り、この波止場に到着した。釈放などで社会復帰の第一歩を踏み出すのもこの波止場だった。
資料番号 10_n_001_0003
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監開庁当時の獄舎(雑居房)。獄舎は、土台をコンクリートで固め、外壁はトドマツの一尺丸太を積み重ねた丸太組で、内側には八分板が張り巡らされていた。
資料番号 10_n_001_0004
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監の独房。
資料番号 10_n_001_0005
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監の木挽(製材)工場。
資料番号 10_n_001_0006
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監の製材置き場。
資料番号 10_n_001_0007
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監全景。
資料番号 10_n_001_0009
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監の初代典獄(現在の刑務所長)を務めた月形潔。原始林を切り開いて獄舎などを建設し、農場の開墾や道路開削など、集治監はもちろん、月形村の基礎作りに多大な貢献をした。村名は月形潔の姓をとったもの。
資料番号 10_n_001_0010
撮影年 不明
所蔵 月形樺戸博物館
説明 樺戸集治監第2代典獄・安村治孝。北海道の大動脈の一つである上川道路(現在の国道12号)の開削などに手腕を発揮した。
資料番号 10_n_001_0011
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監第3代典獄・大井上輝前。キリスト教精神による囚人の「教化と更生」を進めた。小学校にオルガンを導入するなど、月形に西洋文化を持ち込んだ。
資料番号 10_n_001_0012
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監第4代典獄・石澤謹吾。自給自足のため、開庁初期から取り組まれていた水稲栽培の技術を確立させ、増産に着手したほか、民間にも米作りを奨励。月形の農業を大きく進展させた。
資料番号 10_n_001_0013
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監第5代典獄・長屋又輔。須部都川から取水する灌漑溝建設を実行。米の増産につなげたほか、余剰水を民有田に提供し、100ヘクタールもの新田開発につなげた。囚人による北漸寺建立も指揮した。
資料番号 10_n_001_0014
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監第7代典獄・黒澤迪。第5代典獄・長屋又輔が行った灌漑溝を整備などに力を入れた。
資料番号 10_n_001_0015
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監第8代典獄・関省策。大正2年(1913年)から、廃監となった大正8年(1919年)1月まで務めた。
資料番号 10_n_001_0016
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 明治15年(1882年)、当時の樺戸集治監典獄・月形潔の招きで、看守の剣術師範に就任した杉村義衛(前列中央)。杉村は、新選組で沖田総司と並ぶ剣豪として知られた永倉新八である。
資料番号 10_n_001_0017
撮影年 大正2年(1913年)
所蔵 月形樺戸博物館
説明 樺戸集治監の有名囚人「五寸釘の寅吉」こと西川寅吉。脱獄の名人として知られる。各地の集治監・監獄で通算50年の獄中生活を送り、72歳で釈放。自身が主役の劇団で全国を巡業した。
資料番号 10_n_001_0018
撮影年 不明
所蔵 月形樺戸博物館
説明 樺戸監獄札比内出張所。
資料番号 10_n_001_0021
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 明治27年(1894年)11月に落成した樺戸集治監の教誨堂。
資料番号 10_n_001_0022
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 熱心なキリスト教信者だった第3代典獄・大井上輝前の時代、北海道集治監樺戸本監と各地の分監の宗教教誨はキリスト教全盛だったが、第4代典獄・石澤謹吾の就任で方針が変わり、教誨師は牧師から僧侶に変わった。
資料番号 10_n_001_0023
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸・空知の両集治監を最短で結ぶ峰延道路開削の様子。囚人たちが軟弱な地盤に丸太を敷き、その上に砂利や土を盛っている。道路脇に掘られた排水溝は、資材運搬にも利用された。開通は、明治20年(1887年)。
資料番号 10_n_001_0025
撮影年 不明
所蔵 北海道大学附属図書館