樺戸集治監の歴史(2)

概要

樺戸集治監は、国内3か所目の集治監として明治14年(1881年)9月3日に開庁。設置の目的は、政治犯などの収容と北海道の開拓だった。一帯には看守と家族が移り住み、月形村が開村。囚人たちによって、原野は切り開かれて田畑となり、国道12号の前身である上川道路など数々の道路も作られ、開拓の礎を築いた。その後、囚人の減少や過酷な労働への批判が強まり、大正8年(1919年)に廃監となった。

自治体 月形町
種別 その他
メディア 写真
分野 労働 その他
年代 大正以前(~1911) 昭和後期(1968~1988) 年代不明
説明 樺戸集治監の名称の変遷。右から左に名称が変わった。
資料番号 10_n_002_0001
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監の初代警守課長兼興業課長を務めた海賀直常。月形潔典獄の補佐役として手腕を発揮したほか、誕生から間もない月形村のため、市街地の区画割や学校建設、公立病院設置、村道新設などに力を尽くした。
資料番号 10_n_002_0002
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監の囚人が作った亀の木彫。
資料番号 10_n_002_0003
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 薬剤官から梅干しを与えられたことで食欲が戻り、病から回復した樺戸集治監の囚人が、種を保存・乾燥させて一つ一つ指や布などで磨き上げ、糸を通して作った数珠。感謝のしるしとして薬剤官に贈ったという。
資料番号 10_n_002_0004
撮影年 不明
所蔵 月形樺戸博物館
説明 死亡日の合葬の記録簿。
資料番号 10_n_002_0005
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監の対岸にあった楡の大木。自由の身になった放免者は、この木が見えなくなるまで何度も振り返り樺戸に別れを告げたという。老化で危険になったため、昭和59年(1984年)惜しまれながら切り倒された。
資料番号 10_n_002_0007
撮影年 昭和54年(1979年)
所蔵 月形町
説明 篠津山囚人墓地に、最初に建立された樺戸監獄死亡者の碑。囚人墓地には、集治監が置かれていた38年間に、病気や事故などで死亡した1000人余りが眠っている。
資料番号 10_n_002_0008
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 明治43年(1910年)10月2日に行われた北漸寺の落成入仏式。樺戸監獄の囚人が毎日70~80人出役して本堂の建築に当たった。設計は樺戸監獄の授業手(技官)・高岸石次郎、大工の棟梁は囚人の奥田房太郎。
資料番号 10_n_002_0009
撮影年 明治43年(1910年)
所蔵 月形町
説明 明治43年(1910年)に落成した、曹洞宗北漸寺。樺戸監獄の囚人が建設に当たった。曹洞宗大本山永平寺直属の末寺で、道内の禅宗寺の中でも格式の高い寺である。
資料番号 10_n_002_0010
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 明治29年(1896年)に落成した、真宗大谷派・円福寺。北海道集治監樺戸本監の囚人が建設に当たった。
資料番号 10_n_002_0011
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 月形町の名前の由来である、樺戸集治監初代典獄・月形潔の記念碑。
資料番号 10_n_002_0012
撮影年 不明
所蔵 月形樺戸博物館
説明 樺戸集治監の初代典獄・月形潔像。
資料番号 10_n_002_0013
撮影年 不明
所蔵 月形樺戸博物館
説明 円山公園の杉林。明治23年(1890年)、樺戸集治監が開庁10周年記念として囚人に植樹させた。多数の囚人が作業に当たり、冬には杉苗1本1本をむしろで囲うなど、真心を込めて手入れしたと伝えられている。
資料番号 10_n_002_0014
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 昭和15年(1940年)11月竣工の樺戸神社。樺戸集治監の囚人が植樹した円山の杉40本が、本殿の造営に使われた。
資料番号 10_n_002_0015
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 明治45年(1912年)6月に起きた、樺戸監獄からの7人の脱獄事件。そのうちの1人は新十津川村で捕らえられた。
資料番号 10_n_002_0017
撮影年 明治45年(1912年)
所蔵 月形町
説明 樺戸集治監本庁舎の玄関は、後に、円福時の庫裏の玄関として払い下げられ、長く使われていた。
資料番号 10_n_002_0018
撮影年 不明
所蔵 月形町
説明 樺戸監獄で使われた囚人の食器。
資料番号 10_n_002_0019
撮影年 不明
所蔵 月形樺戸博物館
説明 樺戸監獄物故者慰霊祭。
資料番号 10_n_002_0020
撮影年 昭和43年(1968)年
所蔵 月形町