北海道炭礦汽船の歴史
概要 |
北海道炭礦汽船株式会社の歩みは北海道の石炭産業の歴史であり、夕張の盛衰とも密接に重なり合う。戦後復興の主役となった石炭の増産期を経て、昭和35年(1960年)のピークを境に夕張は人口減少、閉山へと向かっていく。とはいえ、炭鉱周辺の暮らしはまだ豊かで、当時の花形スポーツのプロ野球や大相撲が会社の周年事業として次々と招かれ、地域を盛り上げた。 |
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自治体 | 夕張市 |
種別 | 炭鉱 その他 |
メディア | 写真 |
分野 | 産業 労働 暮らし・行事 芸術・スポーツ |
年代 | 大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明 |
説明 | 鹿の谷の北炭北海道支店の社宅。職員と鉱員では住宅の広さが異なった。 |
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資料番号 | 03_n_004_0001 |
撮影年 | 大正時代 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭夕張炭鉱病院。明治期から地域の中核的な医療施設としての役割を果たした。 |
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資料番号 | 03_n_004_0002 |
撮影年 | 昭和初期 撮影年不明 |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭が取り入れていた愛汗運動による修養団の活動の様子。写真は鹿の谷での活動。 |
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資料番号 | 03_n_004_0003 |
撮影年 | 昭和13年(1938年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 「流汗鍛錬」「同胞相愛」「献身報国」などをスローガンに精神教化をめざす活動を行っていた。 |
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資料番号 | 03_n_004_0004 |
撮影年 | 昭和13年(1938年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭北海道支店事務所 昭和11年(1936年)に閉鎖された夕張工業学校校舎も事務所の一部として使用した。 |
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資料番号 | 03_n_004_0005 |
撮影年 | 昭和14年(1939年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭創立70周年を祝う看板。 写っているのは当時の住初橋。 |
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資料番号 | 03_n_004_0006 |
撮影年 | 昭和33年(1958年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭70周年の記念行事にはプロ野球の試合も招聘された。 |
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資料番号 | 03_n_004_0007 |
撮影年 | 昭和33年(1958年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭70周年の記念行事で大相撲の若の花一行が夕張を訪れた。 |
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資料番号 | 03_n_004_0008 |
撮影年 | 昭和33年(1958年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭70周年の大相撲一行の垂れ幕。鉄筋コンクリート4階建ての一般鉱員向けの炭住。 |
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資料番号 | 03_n_004_0009 |
撮影年 | 昭和33年(1958年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭70周年の記念行事を知らせる立看板。芝居や浪曲、映画など様々な催しが行われた。 |
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資料番号 | 03_n_004_0010 |
撮影年 | 昭和33年(1958年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 北炭70周年に合わせて新築された北炭夕張会館。現在の石炭博物館の場所にあった。ガラス張りのモダンな建物。 |
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資料番号 | 03_n_004_0011 |
撮影年 | 昭和33年(1958年) |
所蔵 | 夕張市 |
説明 | 夕張炭鉱病院の診察受付の行列。 安藤文雄さん撮影 |
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資料番号 | 03_n_004_0012 |
撮影年 | 昭和35年(1960年) |
所蔵 | 個人蔵 |