夕張の戦前の暮らし

概要

明治・大正時代を経て石炭増産が始まると、夕張には多くの人があふれ、食料をさばく市場や商店が立ち並ぶようになった。そして、昭和に入り戦争の気配が濃くなり始めると、戦争遂行のために石炭の生産量は一気に高まる。やがて、若者たちが次々と出征することで生じた労働力不足や資材の老朽化は深刻となり、石炭もついに販売統制が始まった。

自治体 夕張市
種別 炭鉱 その他
メディア 写真
分野 産業 労働 暮らし・行事 その他
年代 大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 年代不明
説明 楓坑の消防組の記念撮影。当時から炭鉱ごとに自衛の消防組織があった。
資料番号 03_n_007_0001
撮影年 大正4年(1915年)
所蔵 夕張市
説明 現在の本町3丁目。夕張の魚菜卸売市場は明治28年(1895年)に始まり、同33年(1900年)に北海道庁告示により正式開設されて共印市場と呼ばれた。
資料番号 03_n_007_0002
撮影年 大正13年(1924年)
所蔵 夕張市
説明 昭和3年(1928年)、共印夕張市場、イ印新盛組、一印鹿の谷魚菜市場が合併して、株式会社夕張卸売市場が誕生。翌年、鹿の谷卸売市場を開設した。
資料番号 03_n_007_0003
撮影年 昭和3年(1928年)
所蔵 夕張市
説明 夕張乗合自動車株式会社が設立される。左側は葬儀用の馬そり。
資料番号 03_n_007_0004
撮影年 昭和5年(1930年)
所蔵 夕張市
説明 昭和5年(1930年)に設立された夕張乗合自動車の中型バス。
資料番号 03_n_007_0005
撮影年 昭和初期 撮影年不明
所蔵 夕張市
説明 福住の夕張炭鉱第一分配所。炭鉱が直接経営した。第一分配所は大正3年(1914年)に開設された。
資料番号 03_n_007_0006
撮影年 昭和7年(1932年)
所蔵 夕張市
説明 この年の全国安全標語は「興亜の偉業に輝く安全」。各企業は独自の従業員心得を策定した。
資料番号 03_n_007_0007
撮影年 昭和14年(1939年)
所蔵 夕張市
説明 戦時下は地域ごとの防空訓練も行われた。夕張神社での訓練は銃後を守る婦人を中心に外国人労働者も参加した。
資料番号 03_n_007_0008
撮影年 昭和16年(1941年)
所蔵 夕張市
説明 モンペ姿の婦人が手押し消防ポンプで防空訓練。高松地区の浴場前の広場で撮影。
資料番号 03_n_007_0009
撮影年 昭和16年(1941年)
所蔵 夕張市
説明 この年、夕張市制施行。夕張市が陸軍戦闘機を献納し「夕張号」と命名。
資料番号 03_n_007_0010
撮影年 昭和18年(1943年)
所蔵 夕張市