夕張の子どもたち

概要

夕張の教育は、明治23年(1890年)に12人ほどが学んだ寺子屋方式から始まった。昭和初期には兵式体操(教練)が体操科目となっていく。戦後、出炭量と比例して児童数は増え続け、昭和34年(1959年)には、22の小学校に2万人の児童が学んだ。炭住の子どもたちは、玄関を開けるとそこが遊び場。弟や妹の面倒を見ながら、家事を手伝いながら夕暮れまで遊ぶのが、炭鉱の繁栄した時代の日常の風景だった。

自治体 夕張市
種別 炭鉱 その他
メディア 写真
分野 産業 暮らし・行事 教育・学校 その他
年代 大正(1912~1925) 昭和初期(1926~1945) 昭和中期(1946~1967) 年代不明
説明 若鍋尋常小学校の様子。
資料番号 03_n_012_0001
撮影年 大正時代 撮影年代不明
所蔵 夕張市
説明 炭鉱の温泉「三鉱温泉」。大正11年に湧出し、地元の憩いの場所となった。鉄分が多く、手ぬぐいが黄色に染まる温泉だったという。
資料番号 03_n_012_0002
撮影年 大正11年(1922年)
所蔵 夕張市
説明 雄飛台グラウンドで開かれた第二尋常高等小学校の運動会。
資料番号 03_n_012_0003
撮影年 昭和10年代 撮影年不明
所蔵 夕張市
説明 雄飛台グラウンドでの第二尋常高等小学校の運動会。玉入れを競う子どもたち。後ろにズリ山が見える。
資料番号 03_n_012_0004
撮影年 昭和10年代 撮影年不明
所蔵 夕張市
説明 運動会で壇上の指導者に合わせて竹刀を振る演武を披露する子どもたち
資料番号 03_n_012_0005
撮影年 昭和10年代 撮影年不明
所蔵 夕張市
説明 夕張高等小学校での授業風景。理科の実験の様子。黒板の上には蝶の標本が飾られている。
資料番号 03_n_012_0006
撮影年 昭和10年代 撮影年不明
所蔵 夕張市
説明 夕張高等小学校の体育の授業。在校生が2000人を超えた夕張第二尋常高等小学校から高等科が分かれて開校。
資料番号 03_n_012_0007
撮影年 昭和13年(1938年)
所蔵 夕張市
説明 夕張第二尋常小学校。小学生たちの屋外体操の様子。
資料番号 03_n_012_0008
撮影年 昭和15年(1940年)
所蔵 夕張市
説明 日吉地区 炭住でのなわとび遊び。 安藤文雄さん撮影
資料番号 03_n_012_0009
撮影年 昭和30年(1955年)
所蔵 個人蔵
説明 花まつりの稚児行列で本町1丁目を歩く子どもたち。安藤文雄さん撮影
資料番号 03_n_012_0010
撮影年 昭和32年(1957年)
所蔵 個人蔵
説明 若菜の商店街地区。 安藤文雄さん撮影
資料番号 03_n_012_0011
撮影年 昭和34年(1959年)
所蔵 個人蔵
説明 小学生のラジオ体操。首に出席カードをぶら下げて1日が始まる
資料番号 03_n_012_0012
撮影年 昭和30年代 撮影年不明
所蔵 夕張市
説明 日吉3区の若菜東小学校裏の遊び場。安藤文雄さん撮影
資料番号 03_n_012_0013
撮影年 昭和36年(1961年)
所蔵 個人蔵