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美唄鉄道は、大正3年(1914年)に美唄軽便鉄道として開通。石炭輸送の拡大などにより、東明駅舎は昭和23年(1948年)に開業し、一帯は「とうめい」と呼称されるようになった。昭和47年(1972年)に鉄道が廃止された後、東明駅舎と鉄道関係資料が三菱鉱業から寄贈された。駅舎とプラットホームが残っている。
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4110形式十輪連結タンク機関車2号は大正8年(1919年)製造のE形機関車。傾斜が急な美唄の地形を考慮して、美唄鉄道が三菱造船神戸造船所に特別注文した。製造費は当時の価格で22万1609円。全長11.4メートル、高さ3.8メートル、左右五輪ずつ十輪の動輪がパワーを生み出した。美唄鉄道廃止まで使用された後、美唄市に寄贈された。市指定有形文化財。
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4110形式十輪連結タンク機関車2号は大正8年(1919年)製造のE形機関車。傾斜が急な美唄の地形を考慮して、美唄鉄道が三菱造船神戸造船所に特別注文した。製造費は当時の価格で22万1609円。全長11.4メートル、高さ3.8メートル、左右五輪ずつ十輪の動輪がパワーを生み出した。美唄鉄道廃止まで使用された後、美唄市に寄贈された。市指定有形文化財。画像はレプリカで、本物は美唄市郷土史料館に展示。
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概要
三菱美唄炭鉱は大正2年(1913年)開鉱。大夕張と並ぶ道内三菱の主力炭鉱。効率出炭を目指して建設された竪坑は大正12年(1923年)に完成。昭和19年(1944年)には戦前最高の189万トンの出炭を記録した。昭和40年(1965年)に三菱鉱業から分離して美唄炭鉱となる。昭和46年(1971年)に三菱大夕張炭砿と合併したが、昭和47年(1972年)に閉山。写真は、夜の三菱美唄炭鉱と常盤台駅。
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概要
三菱美唄炭鉱は大正2年(1913年)開鉱。大夕張と並ぶ道内三菱の主力炭鉱。効率出炭を目指して建設された竪坑は、大正12年(1923年)に完成。昭和19年(1944年)には戦前最高の189万トンの出炭を記録した。昭和40年(1965年)に三菱鉱業から分離して美唄炭鉱となる。昭和46年(1971年)に三菱大夕張炭砿と合併したが、翌年に閉山。写真は、閉山により解散する三菱美唄労働組合。
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概要
三井美唄炭鉱は、昭和3年(1928年)に誕生。従業員数、出炭量ともに、三菱美唄と並ぶ巨大炭鉱に成長したが、石炭産業の集約化が進められる中、昭和38年(1963年)、35年の歴史に幕を閉じた。
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概要
昭和30年代は、三菱美唄、三井美唄に加え、上村、北菱我路など7つの炭鉱が操業。市内の人口9万2000人のうち、炭鉱地区の住人は約6万人に達した。炭鉱住宅街は拡大し、多数の学校、病院、映画館、体育館などが整備された。写真は、炭鉱住宅の子どもたち。
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概要
三菱美唄炭鉱の炭鉱住宅街は、谷間の傾斜地に形成された。一方、三井美唄炭鉱の炭鉱住宅街は、碁盤の目に区画した近代的なもので、閉山後も職員住宅など大部分が残っている。写真は、三菱美唄炭鉱の住宅街、清水台・旭台方面。
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三菱美唄炭鉱の炭鉱住宅街は、谷間の傾斜地に形成された。一方、三井美唄炭鉱の炭鉱住宅街は、碁盤の目に区画した近代的なもので、閉山後も職員住宅など大部分が残っている。写真は、三菱美唄炭鉱の住宅街、清水台。
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概要
大量の石炭を運ぶため、三菱美唄鉄道、三菱茶志内鉄道、国鉄南美唄支線といった専用鉄道が敷設された。昭和48年(1973年)の北菱我路炭鉱の閉山で、市内すべての炭鉱が坑口を閉ざすこととなり、専用鉄道も廃線となった。
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